明惠における神と仏(<特集>宗教-相克と平和)

書誌事項

タイトル別名
  • On Myoe's Belief in the Buddhas and Japanese Gods(<Special Issue>Religion : Conflict and Peace)
  • 明惠における神と仏
  • ミョウエ ニ オケル カミ ト ホトケ

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抄録

明惠は鎌倉仏教の著名な仏教者であるが、同時に日本古来の神々に対する篤い神祇信仰を有していた。本稿は、このような明惠の神祇信仰が彼の思想の中でどのような位置を占めているのか、明惠において神と仏の関係はどのようなものであったかという問題を検討しようとするものである。中世日本においてはすでに本地垂迹説が広まり、日本古来の神々にその本地として様々な仏たちが配当されていた。明惠が後半生に住した高山寺には住吉明神、春日明神などが勧請されていたが、後者は明惠に数度託宣を下していて重要な位置を占めている。この春日明神に対する熱烈な信仰は、本地垂迹説における本地仏たる釈迦に対する信仰に由来するのではなく、仏教以前の信仰と考えざるを得ない。ただしその信仰内容は仏教が浸透してこれを規定している。このような信仰は彼が交わりのあった笠置の貞慶より受け継いだのではないかと考えられる。明惠の神祇信仰は時代の下る日蓮などと比較してみると、その崇敬の念の自然さや素直さにおいて、個人の中に神と仏とが何の矛盾なく調和しているのを見ることができる。

収録刊行物

  • 宗教研究

    宗教研究 79 (2), 523-546, 2005

    日本宗教学会

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