レバノンのヒズブッラー再考 : ポスト内戦期におけるその変容の意味をめぐって

  • 末近 浩太
    京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程

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タイトル別名
  • Rethinking Hizballah in Postwar Lebanon : Transformation of an Islamic Organisation

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抄録

1970年代後半から80年代初頭にかけて,中東各地で急進的イスラーム復興主義が「噴出」した。政治イデオロギーとしてのイスラーム復興主義は,70年代にはその力を低下させていた世俗的ナショナリズムや社会主義のオルタナティヴとして台頭したといえる。こうした流れが顕著に見られた国のひとつとしてレバノンが挙げられる。内戦(1975-90年)による事実上の国家の崩壊が,既存のイデオロギーに対する幻滅感を生み,人々のイスラームへの回帰を促した。その象徴ともいえるのが,急進的なシーア派・イスラーム復興主義組織「ヒズブッラー(神の党)」の登場である。ヒズブッラーは,80年代内戦下のレバノンにおいて急速に勢力を拡大した。そして,革命的汎イスラーム主義の標榜やイスラエル・欧米勢力との衝突など,その影響力はトランスナショナルな広がりを見ゃた。こうしてヒズブッラーは,最も急進的な「イスラム原理主義」グループのひとつとして知られるようになる。しかし今日,このような一面的な認識やイメージは,大幅な修正を余儀なくされている。80年代末に始まった国際政治の「地殻変動」は,組織の存在理由を大きく揺るがした。ヒズブッラーは新たな現実に適応し,組織の存続を確実なものとするため,革命的イデオロギーの柔軟化や,92年と96年のレバノン議会選挙への参加,組織の再編成など,さまざまな政策・方針の転換をする。その結果,組織の性格はトランスナショナルからレバノン・ローカルへと変化しつつあるといえる。これまでの研究の多くは,こうしたヒズブッラーの変容を新たな国際秩序の確立に対する「後退戦」と捉えている。しかし実際は,ヒズブッラーは時代に適応するイスラーム復興の形態を積極的に模索しているのであり,むしろその「間接的」影響力はイスラーム世界,さらに国際社会においても拡大しているのではないか?本稿は,変容の背景・要因と政策・方針の転換を包括的に分析することで,ヒズブッラーの持つ今日的意味を再検証する。

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