1930年東京市電のマルチエージェント・シミュレーション

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  • Multi-Agent Simulation of Tokyo City Tram in 1930

抄録

<p>1. 背景</p><p></p><p>東京市電は市民の足として長らく活躍したかつての交通手段であるが,東京中心部への人口集中とともに利用者が増え,関東大震災前にピークを迎えた.震災によって大きな被害を受けるも,迅速な復旧により震災から半年程度で震災前と同じ状況にまで復旧し,再び市民の足として役目を果たした.しかし,かつてから市電の慢性的な混雑が問題となっており,30分待ち,1時間待ちになることもあったと言われている(東京都交通局 1972).この状態を改善するための取り組みの一つとして,1930年に乗客調査が行われ,史料にまとめられている(東京市電気局 1931).史料には停留場別時間別乗客数や停留場間終日OD量など細かなデータが記載されているが,具体的な渋滞の激しいエリアや系統ごとの特徴については本史料を始め,文献等でも十分明らかではない.そこで本研究では,当時の東京市電についてマルチエージェント・シミュレーションを行い,車両の混雑の空間的分布や系統ごとの振る舞いの違いについて明らかにすることを目的とする.</p><p></p><p>2. 手法</p><p>マルチエージェント・シミュレーションは,周囲の状況などに応じて一定のルールに基づき行動する主体である「エージェント」を用いて行う仮想実験を指す.本研究におけるエージェントは市電の車両となる.車両は,停留場を出発したら加速,停留場に近づいたら減速,停留場に着いたら停止,進行方向に車両がいなければ加速,車両がいれば減速,といった基本的な動作を行なうよう事前に決められたルールに従い行動する.各車両の遅延時間は,その路線をこれまでに走行した車両のうち最も早く駅に着いた車両(スムーズに通行できた車両)と比較して遅れた秒数を用いた.本研究では,株式会社構造計画研究所の提供するartistic 4.2を用いてシミュレーションを行った.当時の路線ネットワークデータや系統ごとの走行台数等は,東京市電気局(1931)や東京都交通局(1972)を参考に作成・設定した.</p><p>3. 結果と考察</p><p></p><p>図はシミュレーションのある時の様子を示す.色が濃いほど遅延している車両である.どの車両も始発駅を出発した直後では遅れはみられないが,徐々に遅れが生じ,走行中のほとんどの車両で遅延が見られた.遅延が生じる理由には,混雑区間を走行することに加え,混雑区間と交差する際に時間がかかることも挙げられる.空間分布をみると,市の中心部である日本橋,京橋,銀座エリアでは南北方向に延びる道路に沿って車両が集中しており,渋滞がみられる.また,多くの系統が通過する上野や万世橋付近でも多くの車両が連なる様子が確認できる.新宿や渋谷,大塚など市の外縁部を起点とする系統も多くの車両が走行しており,幹線道路に沿って車両が連なる様子が確認できる.</p><p></p><p> </p><p></p><p>文献</p><p></p><p>東京都交通局 1972.『東京都交通局60年史』</p><p>東京市電気局 1931.『昭和五年度電車乗客調査実績』</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001277352373632
  • NII論文ID
    130007710974
  • DOI
    10.14866/ajg.2019a.0_102
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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