幕末・明治初期の宣教医の活動――宣教医ヘボンを中心に――

書誌事項

タイトル別名
  • The Practice of Medical Missionaries from the Late Tokugawa Period to the Early Meiji Era: Focusing on Dr. James Curtis Hepburn
  • バクマツ ・ メイジ ショキ ノ センキョウイ ノ カツドウ : センキョウイ ヘボン オ チュウシン ニ

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抄録

<p>本論文の目的は宣教医ヘボンの1859年の来日から彼の実践が施療事業から旧約聖書の和訳や学校設立へ移行する1887年までを中心に医療福祉の源流として,その思想と施療活動を検証し考察することにある.1858年に日米修好通商条約が締結されると幕末から明治初期に宣教医の来日が相次いだ.明治期,我が国の最初の救済事業は1874年公布の恤救規則であるが,ほとんど医療保護を持たなかった我が国において1887年頃までの宣教医達の実践は注目に値する.ヘボンは1861年に宗興寺で施療を開始し,自ら進んで貧困者等を治療し投薬を行い,居留地内では医学生に西洋医学の教育を行った.ヘボンの医療活動の特徴は①貧富や身分の差のない施療,②ミッション・ボード,外国人の寄付金と私財による運営資金,③宣教の道具としての医療活動,④日本人医師の充足を認め潔く医療活動を退いたことである.ヘボンの性格は几帳面で善意の人であり,ヘボンの思想や実践は,彼に師事した人達に影響を及ぼし盲学校や施療施設の設立として受け継がれ,盲人福祉や医療福祉の一つの源流となったと考えられる.</p>

収録刊行物

  • 社会福祉学

    社会福祉学 58 (4), 1-13, 2018-02-28

    一般社団法人 日本社会福祉学会

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