サイト・スペシフィック・アートとモニュメント

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タイトル別名
  • Site Specific Art and Monument
  • 国東半島芸術祭の事例から
  • from the Case of Kunisaki Art Festival

抄録

近年,日本で増加している地域おこし型のアート・プロジェクトにおいては,サイト・スペシフィック・アートが中心となっている.サイト・スペシフィックとは「美術作品が特定の場所に帰属する性質」(暮沢 2009: 176)を意味するが,その詳細な検討は管見の限り少ない.サイト・スペシフィック・アートについて詳細な検討を行ったKwon(2002)は,1990年代以降にサイト・スペシフィックからコミュニティ・スペシフィックへと中心が移行したと論じている.<br><br> 本発表は,モニュメントを場所との関係から考察するために,サイト・スペシフィック・アートを取り上げる.そして,①従来のサイト・スペシフィック性の二分法(文化・歴史と空間)の議論は不十分であることを指摘する.すなわち,国東半島芸術祭の作品を事例に,②サイト・スペシフィック・アートの一部はモニュメントに該当し,モニュメントはサイト・スペシフィック・アートの一種であること,③サイト・スペシフィック・アート(その一種としてのモニュメント)は意味論的に2種類に分けられることを論じる.<br><br> なお,国東半島芸術祭は2014年に大分県豊後高田市・国東市内を会場に県の主導で開催されたアート・プロジェクトである.サイト・スペシフィックを標榜する6つの造形作品群(他にメディア・アート1点)が展示され,2017年末現在も設置されたままになっている.<br><br> さて,従来のサイト・スペシフィック性に関する議論では,それぞれの場所の文化・歴史的要素か,空間的要素が作品に表現されていることが指摘されている(南條 1995,村上 2012).これは誤りではないし,アーティストの側からこうした実用的な二分法が出てくることはわかるが,次の2点から不十分な議論であるといえる.<br><br> その一つはモニュメントの位置づけである.国東半島の事例のうち,「説教壇」(川俣正)は,近世初期のカトリック司祭であるペトロ岐部を記念・顕彰するもので,明らかにモニュメントといえる.モニュメントを竹田(1997: 6)は「社会的メッセージ」を発するものとして広く定義しており,これに従うなら,様々な造形や看板などの一部がモニュメントであるといえる.また逆に,モニュメントは(アートの定義を広げた場合)サイト・スペシフィック・アートの一種ということもできよう.<br><br> もう一つは,サイト・スペシフィック・アート,そしてその一種としてのモニュメントは,意味論的に2種類―メトニミーのみに基づくもの,メトニミー+メタファーに基づくもの―に分けられるということである.上記の二分法で対立するものとされた文化・歴史的要素と空間的要素は,その場所に関わる事象であるという点では同じであって,これらを表現したアートは,ある場所に何かを結び付けてとらえるメトニミーに基づく.これに加えて,ある場所を他の場所に見立てるメタファーも作用したアートがある.すなわち,「Hundred Life Houses」(宮島達男)は国東半島に数多い摩崖仏との類似が容易に見て取れる作品である.ただし,「社会的メッセージ」を読み取ることは難しく,モニュメントではない.一方,上述の「説教壇」は,(成功しているかどうかは疑問であるが)ペトロ岐部のローマまでの行程が表現され体感できる作品とされ,それに従うなら,他の場所への見立て,すなわちメタファーに基づくものといえる.<br> 以上の2点から国東半島芸術祭のサイト・スペシフィック・アート作品を分類した.モニュメントはサイト・スペシフィック・アートと連続しており,その一種としてさらに考察が重ねられる必要がある.

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001288039991936
  • NII論文ID
    130007412022
  • DOI
    10.14866/ajg.2018s.0_000235
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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