わが国における地形分類図の普及と展開

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タイトル別名
  • Development and utilization of landform classification maps in Japan
  • ワガクニ ニ オケル チケイ ブンルイズ ノ フキュウ ト テンカイ

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抄録

Ⅰ 地形分類図作成の背景<br> わが国における地形研究で地形分類図が使われるようになったのは戦後のことである.戦前の地形研究の論文では辻村(1932 abc)のように文字のみだったり,地形図や写真などを示しただけのものも多く,地形を詳しく区分した図を用いたものはほとんど見られなかった.ただ,そのような中で淡路(1932)はGeogr.Zeits.に掲載されたナイル川河谷の地形分類図を紹介しており,わが国に紹介された地形分類図としては最も早いものの一つであると思われる.また,戦前は一般人の空中写真利用が不可能であったが,佐藤久氏は陸地測量部において空中写真を扱う機会を得て,戦後の空中写真による地形研究の基礎を作った.<br><br>Ⅱ 地形分類図整備の進展 <br> 戦後しばらくの時期には,戦時中に荒廃した国土にカスリン台風やキティー台風,アイオン台風などが襲来し,各地で顕著な水害が発生したことや,戦後の食糧増産が急務であったことなどを背景に,国土の開発や資源,土地条件などに対して積極的に目が向けられた.<br> そのような中,戦中期に文部省の直轄研究機関として設立された資源科学研究所が戦後再出発し,地理部門のメンバーとして多田文男氏や大矢雅彦氏,三井嘉都夫氏,阪口豊氏などが活躍した.また,この頃になると学術論文に地形学図とよばれる地形分類図が載るようになり,多田・坂口(1954)は低地の地形分類図を用いて狩野川低地の地形発達を検討している. <br> 1952年には資源調査会設置法にもとづき,総理府資源調査会が設置され,治山治水総合対策のための基礎調査などを開始し,1956年度には木曽川流域についての調査が実施された.この調査は東京大学教授の多田文男氏を中心に、オランダで土地分類を学び(中野, 1952)のちに東京都立大学教授となる建設省地理調査所地理課長の中野尊正氏、のちに法政大学教授になる資源科学研究所員の三井嘉都夫氏、のちに早稲田大学教授になる資源科学研究所員の大矢雅彦氏という当時若手気鋭の地理学者達か゛担当した。そして,この報告書には付図として空中写真判読にもとづいて大矢雅彦氏が作成した木曽川流域濃尾平野水害地形分類図か゛添付され,洪水時の浸水状況と低地の微地形分類とが良好な対応を示すことが示された.<br> 当初この水害地形分類図はそれほと゛注目を集めなかったか゛,3年後の1959年9月に台風15号(伊勢湾台風)か゛襲来し,水害地形分類図と被災状況が対応していることが注目された.その後国会て゛も議論となり,水害地形分類図のような地図を災害対策のために緊急に整備する必要性が議論され,土地条件図などが整備される契機になった.<br> 一方,1950年に国土総合開発法,1951年に国土調査法が制定され,1954年から経済企画庁(後に国土交通省)により土地分類基本調査が開始された.1/50万,1/20万の土地分類調査に加えて,全国51のモデル地域において1/5万図幅単位で表層地質図や土壌図などと共に地形分類図が作成され,その事業は各都道府県に引き継がれ,北海道など一部を残して国土のかなりの部分をカバーした.<br><br>Ⅲ 現在の地形分類図<br> 上記のような地形分類図は表1に示すように現在も国土地理院の治水地形分類図や数値地図25000(土地条件),国土交通省の土地分類基本調査(土地履歴調査)などの形で作成・改訂が進められ,各自治体においては洪水ハザードマップなどの作成も進んでいる.また,多くの地形研究でも地形を把握し,理解するために対象地域の地形分類図が積極的に活用されている.

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