「差別」に挑む子ども、「同化」を問題にする教師

書誌事項

タイトル別名
  • Children Challenging “Discrimination,” Teachers Problematizing “Assimilation”: A Re-examination of Educational Discourse of Ethnic Koreans toward Critics of Japanese Multiculturalism
  • 「差別」に挑む子ども、「同化」を問題にする教師 : 「多文化共生」論への接続に向けた在日朝鮮人教育言説の再読
  • 「 サベツ 」 ニ イドム コドモ 、 「 ドウカ 」 オ モンダイ ニ スル キョウシ : 「 タブンカ キョウセイ 」 ロン エ ノ セツゾク ニ ムケタ ザイニチ チョウセンジン キョウイク ゲンセツ ノ サイドク
  • ―「多文化共生」論への接続に向けた在日朝鮮人教育言説の再読―

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抄録

<p>本稿は、今日の「多文化共生」をめぐる議論において、政府の「上からの」外国人住民統治策に対置される形で、その先進性を高く評価されている「下から」の「共生」の運動・実践の中に潜む問題点を明らかにすることを試みる。具体的には、公立学校の日本人教師による、在日朝鮮人の子ども達に関わる教育実践(在日朝鮮人教育)の先進的な取組みに内包された問題点を、その支配的な言説の立ち上げの時点に遡って検証していく。在日朝鮮人教育の主流の実践は、マイノリティ側のありようを変革の対象としてきた―文化的(民族的)差異の不在を「問題」とみなし、その差異の回復を志向してきた。それは同時にマイノリティ側の社会の不公正や不平等を問題化しようとする声を隠蔽してしまうものでもあった。</p><p>1970年代以降の大阪市の在日朝鮮人教育運動の「指標」となり、全国的にもこの教育の支配的な言説の原型となった、大阪市立長橋小学校の運動は従来、朝鮮人の「生活現実」からの声に耳を傾け、その要求に応える教育をうちたてた動きとされてきた。しかし、朝鮮人の子ども・親の「現実」をまなざし、教育が取組むべき「問題」を語るのは日本人教師であるという権力関係に注目すると、異なる側面が見えてくる。本稿では、「ウリマルを返せ!の要求に応えて」というフレーズで知られるこの運動の語りの背後に存在した、問題の所在をめぐってすれ違う認識の行方に注目する。</p>

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