二〇世紀の警察と防災

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タイトル別名
  • Disaster prevention and the Japanese police: 1923-1961
  • ニ〇セイキ ノ ケイサツ ト ボウサイ

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抄録

本稿は、一九二三年の関東大震災から一九六一年の災害対策基本法の制定にかけて、日本の警察による災害時の警備体制がどのような変遷をたどったのかを考察する。<br> 戦前の警察は防災に関する様々な事務を管掌し、災害発生時には避難民の誘導や救護、被災地の治安維持を担った。もっとも、明治期には全国統一の非常警備規程は存在しなかった。各庁府県は個別に規程を制定したが、災害の定義と規程の内容は各府県警察の裁量に委ねられた。<br> 非常警備規程の制定についての第一の転機は、関東大震災である。各庁府県は災害を念頭に置いた警備計画を策定し、警備以外の救護・復旧の面で他の行政機関や民間団体との協力を模索した。災害を詳細に定義する府県もあった。しかし、昭和初期になっても半数近くの県では非常警備規程は制定されていなかった。<br> 第二の転機は、昭和期のテロである。一九三二年の五・一五事件の後、内務省は同年九月に初の統一的な非常警備規程を制定した。これにならい、各府県も非常警備規程を改正、ないし制定した。もっとも、昭和期には災害よりも人為的な事変に警備計画の重点が置かれた。<br> 第三の転機は、日中戦争である。日本が戦争へと突き進むなか、政府は内容の重複する非常警備と戦時体制における総動員警備の関係を整理しなければならなかった。内務省は一九三八年に非常警備規程を改正し、自然災害と人為的事変で計画を分けることを認めた。そして、非常警備と総動員警備を区別し、警備計画を別個に策定することを義務づけたのである。<br> しかし、太平洋戦争の開戦後、非常警備と総動員警備は事実上統合された。また、警察の人員不足によって警防団が警備に動員された。戦況の悪化にともない、災害警備よりも空襲の優先度が上昇した。<br> 戦後の警察は、治安上の課題と警察制度改革に翻弄された。一九四七年の警察法は、国家非常事態の発生に際して首相が警察を統制する措置を設けた。そして、一九六一年の災害対策基本法によって災害の定義が確立し、災害時の非常警備は防災に組み込まれた。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 127 (6), 19-34, 2018

    公益財団法人 史学会

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