無分別知をめぐる仏教徒とジャイナ教徒の論争の一考察

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  • A Study of a Buddhist-Jainist Dispute over Non-conceptual Cognition

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<p>シャーンタラクシタ(ca. 725–788)は,『真理綱要』(Tattvasaṃgraha)第17章の第1264–84偈において,第1263偈までに証明された直接知覚(pratyakṣa)の無分別性をジャイナ教徒の論難から擁護する.この箇所で登場する空衣派のスマティは,無分別・有分別二種の直接知覚を主張しつつ,無分別な直接知覚は実在(vastu)の持つ存在性(sattā)等の高次の普遍に対して起こり,有分別な直接知覚は低次の普遍や特殊に対して起こるとする.これに対して,シャーンタラクシタは,個物の直接知覚こそ無分別だという立場から,普遍は特殊と相互排除の関係にあるので却って有分別知によって把握されると反論する.</p><p>かつて服部正明博士がこの議論を紹介されたが,その後,ジャイナ教団の師弟系譜やジャイナ教の認識論の研究によって新たな情報がもたらされた.その結果,スマティがサマンタバドラ(7c)とアカランカ(ca. 720–780)の間に位置する実在人物であることが確認された.また,ジャイナ教の認識論には伝統的な四段階説と論理学者が再編した五段階説があり,前者では知覚(avagraha)が無分別,後者では直観(darśana)が無分別だが,続いて生じる知覚は有分別とされる.さらに,ジャイナ教では元来,感官知(matijñāna)は直接知覚ではなかったが,シッダセーナ=ディヴァーカラ(6–7c)やジナバドラ(6–7c)以降,世俗的な意味で直接知覚と見なされるようになった.本稿では,これらの先行研究を踏まえて,仏教徒とジャイナ教徒の無分別知理解をめぐる論争の一例としてスマティの思想背景を明らかにする.解明にあたっては,まとまった著作が残っている空衣派と白衣派の諸論師の著作を参照した.検討の結果,スマティの思想的立ち位置は,感官知を直接知覚として認める立場であった.またTS/TSPで紹介される彼の思想には独自の用語が含まれないため,仏教側による誤解や改変の可能性が残るものの,同じ空衣派の思想だけでなく普遍と特殊の体系的説明等の点では白衣派との共通性が見られることも分かった.</p>

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