断熱ショートカットとダイナミクスの構造

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タイトル別名
  • Shortcuts to Adiabaticity and Structure of Dynamics
  • ダンネツ ショートカット ト ダイナミクス ノ コウゾウ

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抄録

<p>物理系を「理想的」に操作したいと思うことは,さまざまな場面である.操作というと工学的・技術的な問題を想像するが,そもそも系を操作してその反応を調べること,つまり測定,は科学の基本手段の一つである.熱力学のように種々の操作を用いて基本原理を明らかにするという体系もある.近年は,技術の向上などにより,制御という視点の研究も多く行われている.操作に対してどのような反応をするかではなく,望んだ反応を得るためにはどのように操作したらよいかという問題である.</p><p>操作・制御の問題はダイナミクスの問題と捉えられる.外部パラメータを変化させることによって系の状態が時間変化する.状態の変化を調べるには動的な系(非自励系)の運動方程式を解く必要があるが,その遂行は決して容易ではない.静的な系ではエネルギー保存や定常状態などを足がかりとできるが,動的な系についてわれわれが共有しているイメージは多くない.</p><p>経験的に理解できるが,系を思い通りに制御する手段の一つは,ゆっくりと操作を行うことである.そのような準静的操作によって得られるのが断熱状態である.量子力学における断熱操作は断熱定理を用いて基礎づけられ,断熱状態の表現に含まれる幾何学的位相が非自明な効果を生み出す.</p><p>ここで考えたいことは,ゆっくりと動かさずに短い時間で望みの状態遷移を得るにはどうしたらよいかという問題である.それには本来想定しているハミルトニアン(時間発展生成子)とは異なるハミルトニアンを用いて時間発展を行うとよい.これは,非断熱遷移を防ぐプロトコルを用いることを意味している.このような考え方はさまざまなアイデアをもたらし,それらは総称して断熱ショートカット(shortcuts to adiabaticity)とよばれている.基本的なアイデアは断熱理論や動的な系の解析手法を転用したものにすぎないが,制御の方法として用いるという視点はそれまでになかった発展をもたらした.実験的検証も多く行われている.</p><p>実装方法は大別すると二つのものがある.制御項を付加する方法は概念的にわかりやすいが,制御項の公式は実用的ではないし,得られる制御項が複雑になることが多い.対称性を活用する・近似的な制御項を用いるなどする.二つめの方法では動的不変量とよばれる量を用いる.パラメータの調節のみで制御を行うため実装しやすいが,動的不変量を得ることは一般に容易ではない.いずれの方法でも,問題に応じてさまざまな実装方法が議論されている.</p><p>断熱ショートカットの適用範囲は広く,量子系だけでなく古典系や確率過程の系など,さまざまな問題にも応用できる.そのことをよく考えてみると,目的が制御に限られないことがわかる.任意の系において時間発展を特徴づける「ハミルトニアン」は二つに分割される.一つは瞬間定常状態を特徴づけ,もう一方はその状態を変化させる生成子の役割を果たす.分割によって得られる生成子は幾何学的な意味をもち,量子速度限界の概念に自然とつながる.</p><p>断熱ショートカットは,この10年の間に原理的な理解が進み,さまざまな応用が行われてきた.系統的かつ汎用的であり基礎が応用に直結するこの方法が,今後も思わぬ方向に発展することを期待したい.</p>

収録刊行物

  • 日本物理学会誌

    日本物理学会誌 76 (5), 270-277, 2021-05-05

    一般社団法人 日本物理学会

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