秋田県における百貨店の歴史的変遷による一考察

書誌事項

タイトル別名
  • Study by Historical Changes of Department Store in Akita Prefecture

説明

<p>1 背 景</p><p></p><p>日本における百貨店の始まりは,1905年にアメリカのデパートメントストアを参考に店舗改革を目指した三越呉服店の抱負を全国紙で広く一般に報道したことが「デパートメントストア宣言」だとされている(藤岡 2006).この宣言の中で三越は,呉服にとらわれることなく,衣服装飾に関する商品の品揃えを拡大するという方針を提示した.つまりそれは旧来型の呉服店が,欧米のような百貨店へと成長するためには取扱商品の拡大が必須であるという三越の認識を示したのである.この宣言以降,近代的な日本の百貨店は取扱商品を増加させたことでワンストップショッピングとなるように消費者の購買行動を大きな変化をもたらした.日本の百貨店は明治末期から大正初期にかけて成長し,地方都市ではかつての呉服店などを前身に持つ百貨店の開店がみられた.さらに大正期には大阪でターミナルデパートの開店,昭和期のスーパーマーケットの導入によってさらに多様化した販売形態となった.しかし1990年代にバブル景気崩壊による平成不況となると,モータリゼーション急速な進展に加えて郊外型ショッピングセンターやロードサイドショップが登場したことで,百貨店が抱える課題は深刻化していった.とりわけ地方都市では施設の老朽化や商品拡充の未整備により地元百貨店が店舗閉鎖となる事例も相次いでいる.さらに近年ではコロナショックにより百貨店の閉店が加速しているとも考えられる.</p><p></p><p></p><p></p><p>2 研究の目的と方法</p><p></p><p>前述した百貨店を取り巻く背景を踏まえて本報告では,地方都市の一つとして考えられる秋田県を事例として百貨店に関する歴史的変遷と価値を検討することを目的とした.明治末期から大正初期にかけての秋田県ではデパートメントストア宣言の流れに沿うように,地元の呉服店が百貨店へと変化した.しかし時代の流れとともに百貨店は減少し,商業施設としての形態も同時に変化するようになったのが現状である.</p><p></p><p>本報告では大正期以降の秋田県の商業形態を焦点に当てている.その理由は,一般的に大正期は大正デモクラシーなどの用語があるように市民生活が豊かになったことを示されているが,秋田県では大正末期から大戦景気の反動による慢性的な不況が存在していたと考えられたためである(今井1969).</p><p></p><p>これらの研究では,まず文献調査により大正期における日本における百貨店の歴史的変遷を確認する.それを踏まえたうえで,歴史地誌の観点から秋田県における百貨店について大正期以降の歴史的資料を用いて考察を行うことにした.</p><p></p><p></p><p></p><p>3 考 察</p><p></p><p>秋田県の百貨店では大正期にはいり,都市部からデパートメントストア宣言の影響をうけた百貨店が急速に発展したと考えられる.しかしながら,なかには大戦景気の反動による慢性的な不況で廃業を余儀なくされた店舗もあった.また大正期の秋田県は人口が急増した時期でもあった.それと同時に慢性的な不況を抱えるようになった時期でもあり,それが商業に大きな影響を及ぼす時期となったことも考察の一つである.</p><p></p><p></p><p></p><p>参考文献</p><p></p><p>藤岡 里圭 2006.『百貨店の生成過程』有斐閣.</p><p></p><p>今村 義孝 1969.『秋田県の歴史』山川出版社.</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390008057582750720
  • NII論文ID
    130008093073
  • DOI
    10.14866/ajg.2021a.0_92
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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