『東亜新報』編集局の人々 付『東亜新報』「論説」題目一覧(1941年1月1日― 1942年12月31日)

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  • 『 トウア シンポウ 』 ヘンシュウキョク ノ ヒトビト : ツキ 『 トウア シンポウ 』 「 ロンセツ 」 ダイモク イチラン(1941ネン 1ガツ 1ニチ-1942ネン 12ガツ 31ニチ)

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『東亜新報』は一九三九年七月から一九四五年の日本の敗戦まで、中国北京などで発行されていた日本語新聞である。これまでまとまった研究が存在しない同紙について、編集局の主要人物に着目し、様々な史料を用いてその来歴などをとりまとめる。取り上げる関係者は、社長であった徳光衣城、「東亜新報の三羽ガラズ」と称された佐々木金之助・高木健夫・石川輝、論説委員であった高木冨五郎・長谷川光太郎、済南支社の編集局長・支社長を務めた竹内順三郎、外交部長や天津支社編集局長を歴任した栗原一夫の八名である。

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