経営者石田退三論(2・完) : 喜一郎戦略との遭遇

DOI DOI 機関リポジトリ 機関リポジトリ Web Site ほか1件をすべて表示 一部だけ表示

書誌事項

タイトル別名
  • Taizou Ishida and Toyoda : Close encounters of the alternative
  • ケイエイシャ イシダタイサンロン(1)キイチロウ センリャク ト ノ ソウグウ
  • ケイエイシャ イシダタイサンロン(2 ・ カン) : キイチロウ センリャク ト ノ ソウグウ
  • ケイエイシャイシダタイゾウロン(2・カン) キイチロウセンリャクトノソウグウ

この論文をさがす

抄録

戦時下,豊田紡織は,中央紡績へと統合され,豊田は綿業からの事業転換を余儀なくされる。豊田は,豊田自動織機製作所とトヨタ自動車工業に拠る軍需品生産・自動車製造へと邁進する。豊田自動織機製作所は,紡織機の製造が困難化しつつあり,事業の再構築をすすめていたが,石田退三は常務取締役として,その最前線に放り込まれたのであった。何事も「合理的にすすめる」石田退三は,自動車部品の生産と軍需品生産に関する実績から,ついには豊田自動織機製作所の「生産担当者」となる。第二次大戦後はGHQによる「財閥解体」の一連の改革の中,石田退三は豊田自動織機製作所における紡織機生産の再開を推進することで,1948年豊田自動織機製作所の取締役社長となる。全豊田の観点,家族主義的豊田を体現する経営者となっていた。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ