日本における「学校の安全・危機」言説の展開(3) ─学校衛生における「3機能を備えた養護教員」の成立過程─

この論文をさがす

抄録

概念検討は政策過程の分析には欠かせないが、学校安全の分野での概念検討は皆無といってよい。そこで、本稿では、学校安全の前史である戦前の学校衛生について「養護教員」の成立過程を後づけた。学校衛生は、医学的学校衛生(明治)、社会的学校衛生(大正)、教育的学校衛生(昭和)へと展開した。公衆衛生の一環として、大正・昭和初期、学校衛生は習慣形成や衛生道徳の涵養という教育活動と見なされた。この展開過程で、厚生省と文部省の管轄のあり方をめぐる「綱引き」が働きつつ、戦前の学校看護婦(衛生婦・養護婦・養護訓導)が制度化された。的確な職務の遂行によって社会的評価を高めた学校看護婦は、「教育的任務(保健指導)と社会事業的任務(保健管理)を担う役割」へと発展し、「医務の助手」から「保健の専務」へと転換した。そこには、「治療」と「養護」の結合、「一般養護」と「特別養護」の峻別、教育と医学の複合的な役割、学校職員としての位置づけ、といったロジックが働いていた。本稿の知見は、行政機構と事業内容、学校医・養護教員・学校長・一般教諭の関係、実践・運動・行政による制度化の総合的な理解にすぎない。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ