古丁における翻訳 : その思想的変遷をさぐる

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タイトル別名
  • Change in Guding's Thought as Seen in his Translations
  • コテイ ニ オケル ホンヤク ソノ シソウテキ ヘンセン オ サグル

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抄録

古丁は生涯日本語作品の翻訳を行った。その翻訳は北平(北京)時代、「満州国」時代、中華人民共和国時代の三つの時期に分けることができる。本論文は主に「満州国」時代の翻訳を対象とし、翻訳態度の変化を考察するために北平時代には触れるが、中華人民共和国時代については省略する。  満州事変で北平に亡命した古丁は、中国左翼作家聯盟北方部に入り、中国の労働者革命運動を応援するために岩藤幸夫の小説や蔵原惟人の論文等日本プロレタリア作品を翻訳した。しかし、逮捕されて「転向」、故郷の長春へ帰り、「満州国」の官吏となった。  「満州国」での古丁の翻訳については、一九三七年、一九三八年から一九四一年、一九四二年から一九四五年という三つの段階に分けて考察する。第一段階では、石川啄木「悲しき玩具」等現実社会に反抗する作品を翻訳した。これらには、苦悶しながら希望を見出そうとする古丁像がうかがえる。また、その原文の中の左翼的な内容に対する処理の仕方により「満州国」の左翼に対する厳しい取り締まりがうかがえる。第二段階では夏目漱石の『心』など文学作品を翻訳した。その翻訳には、古丁の文学技術を学び、漢語を改革しようとする意欲が読み取れる。  第三段階では、大川周明『米英東亜侵略史』等、主に時局的と思われるものを翻訳した。そこからは複雑な心境を抱えながら「大東亜戦争」の流れに乗る古丁像が浮かび上がる。また、『芸文志』に掲載された吉川英治「宮本武蔵」の部分訳からは、古丁の「満人」の民度に対する批判が続いていることも分かる。また、一九三八年から、古丁は、漢語の注音符号の使用や国立翻訳館の設立を主張していた。そこに、「満州国」の「民族協和」の旗の下で、日本文化への同化を強いる政策に対しては漢語と漢語文化を守ろうとする彼の姿勢がうかがえる。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 38 121-185, 2008-09-30

    国際日本文化研究センター

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