<研究論文>呉秀三の音楽療法とその思想的背景

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  • Kure Shūzō's Music Therapy and Its Intellectural Background
  • ゴ シュウ サン ノ オンガク リョウホウ ト ソノ シソウテキ ハイケイ

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抄録

精神科医の呉秀三(1865―1932)は、近代精神医療の普及に取り組む中、明治期において既に、自身が医長を勤める東京府巣鴨病院で音楽療法の試行を開始した。呉の音楽療法実践に関しては、巣鴨病院の後身にあたる東京都立松沢病院併設の「日本精神医学資料館」を中心に、当時の状況を窺い知ることのできる資料が現存しているものの、これまでその実態が明らかにされることはなかった。しかしながら、日本の音楽療法史上において、従来の理論紹介に終始することなく、実際に体系的、及び長期的に行った呉の音楽療法は重要な位置を占める。

したがって本論文では、呉の音楽療法の実態と、その思想的背景を解明することを研究目的とし、一、新聞記事にみる東京府巣鴨病院での音楽療法実践内容、二、呉秀三における精神医学理論の形成的背景、三、「作業療法」における「音楽弾奏」としての能動的音楽療法、四、「遺散療法」における「慰楽」としての受動的音楽療法、五、巣鴨(松沢)病院における大正期以降の音楽療法、といった順で稿を進め、既に刊行されている資料のみならず、「日本精神医学資料館」所蔵の病院側未刊行資料も対象として分析を行った。

その結果、巣鴨病院においては、「作業療法」の一環として患者自らが楽器演奏を行うことで治療的効果を見込むといった能動的音楽療法が導入されると同時に、「遺散療法」の一環として患者が音楽を聞くことによって効果を見込む受動的音楽療法も行われていたことが明らかとなった。また、呉が推奨した音楽療法の思想的背景には、呉の留学先であったドイツやフランスで行われていた精神医療あるいは音楽療法思想が大きく関連していることも判明した。その一方、巣鴨病院の音楽療法実践に用いられた楽器や演目に関しては、患者の嗜好に基づき、当時の文化土壌に根付いた音楽が推奨されていたことも明らかとなった。そして、これらの音楽療法が、精神療法の一環として患者に直接的・間接的な効果をもたらしたこと、さらに、音楽療法が呉の独断で行われていたのではなく、医師や看護人も含め、病院組織全体で認識が図られていたことも解明された。

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