異文化コミュニケーション教育(異文化教育)の原点としての「我々」と「彼等」のコミュニケーション問題(22) ―「他者のメディア表象」への「拘り」の意義―

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タイトル別名
  • Why do we have to take ‘Media Representation of Others’ seriously?
  • イブンカ コミュニケーション キョウイク(イブンカ キョウイク)ノ ゲンテン ト シテ ノ 「 ワレワレ 」 ト 「 カレラ 」 ノ コミュニケーション モンダイ(22)「 タシャ ノ メディア ヒョウショウ 」 エ ノ 「 カカワリ 」 ノ イギ

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抄録

2018年後半から2019年前半にかけてのアカデミー賞作品賞を受賞した映画、米国NBC局のキャスターの「ブラックフェース」発言等、社会で論争を引き起こした例を基にして、「拘り」の表明、「拘り」に対する反応、反論、言い訳に見えてくるものを検証し、「拘り」の持つ性質と意義について考察をしている。自らの「拘り」への参加、他者の「拘り」の行為の受容、そして異なる意見の表明によって互いに真摯な応答の過程がなされていく社会を尊重し、「拘り」の表明によって、さらに異なる意見が自由に意見交換されるような空間――これは、カントのいう公共圏でもあり、アーレントが、レッシングの考えた真理の存在、「真理は、言語を通して人間化されるところのみ存在する」について述べたような、多様性を持つ人間が「真理だと思っているもの」を表明し語ることでのみ作り得る「唯一の人間的な空間」でもある。他者のメディア表象への「拘り」を尊重し、真摯に応答する行為を通して、「一人ひとりが・拘り・今・自分に・出来ることを、丁寧に問い・声をあげ、かつ、耳を傾け・異なる他者とのコミュニケーションを続け・それを通して得た真理を・実現しようとする」という異文化コミュニケーション教育の目標は達せられるのである。

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