M.フーコーにおける《主体化》の主題

書誌事項

タイトル別名
  • Michel Foucault's Theme of "Subjectivation"
  • M フーコー ニオケル シュタイカ ノ シュダイ

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説明

特定の諸関係の中で、個人がある属性を持つところの主体として構成される過程、即ち「主体化」が、M ・フーコーの仕事における一貫した主題であったことは、今日ではよく知られている。さて、しかし、なぜ「主体」でなく「主体化」なのか? 「主体」になる前の「個人」とは、いかなるものか?本稿前半部では、まず、主体を何らかの操作の結果として、フーコーが扱い続けた理由を、彼の特異な思考の前提を明示することにより、確認する。その前提とは、次のものである。①主体の属性は、特定の実践上の技法の効果として生じる。②個人の〈内に〉複数の諸力が存在する。即ち、個人自体が、既に統治されねばならない複合的・政治的現象である。以上の議論を踏まえ、後半部では、「道徳的主体化の様式」に関する、フーコーの晩年の仕事が持つ意味について、考察する。重要なポイントは、フーコーが、①普遍的規範こそ道徳的主体性の基盤である、とする、西欧哲学において支配的な信念を問い直していること、②普遍的規範への要請・信頼を、特定の道徳的主体化の様式の採用に随伴するものとして、捉えていること、である。結論。もしも我々に共通に与えられているものがあるとすれば、それは、複数の諸力の中で、自らを何らかの実践によって統御せねばならない、という課題であり、規範は、そのための方法でしかない。規範の力でなく、規範を自らにあてがおうとする力の方が本源的なのだ。

収録刊行物

  • 年報人間科学

    年報人間科学 17 85-100, 1996

    大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390009224804947072
  • NII論文ID
    110004746821
  • NII書誌ID
    AN0020011X
  • DOI
    10.18910/10768
  • HANDLE
    11094/10768
  • ISSN
    02865149
  • 本文言語コード
    ja
  • 資料種別
    departmental bulletin paper
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
    • CiNii Articles

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