「社会学言論のカテゴリー」構想 : ヴェーバー「理解社会学」の解釈課題として

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  • Webers Konzeption der Soziologischen Kategorien-rede
  • シャカイガク ゲンロン ノ カテゴリー コウソウ ヴェーバー リカイ シャカイガク ノ カイシャク カダイ ト シテ

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抄録

今日のアメリカ発世界的規模の金融危機により、働くモノとヒトの「理想型」モデルが大きく揺らいでいる。第一に、「精神」無き時代の経済倫理を支えるモノが何か、マックス・ヴェーバーの『理解社会学のカテゴリー』にあって『経済と社会』にない、失われた「諒解」概念を巡る論争、「言語喪失事件」(der Fall einer Sprach-Verlust, einer Aphasie)の真相解明の手掛かりを探し、「諒解」ゲマインシャフト行為世界の行方を探る。第二に、『貨幣の哲学』(ジンメル、レヴィナス)との関連で、「貨幣の社会性」と「形式論理」が問われる。第三に、「社会学言論のカテゴリー」構想の下に、理解と諒解・秩序の解釈についての史的事例を参照し、社会学言論を差し当たり、源流・構想・課題の三つに分けて予備的に分析する。論攷の目標設定は、ネットワーク時代の「諒解」的言語事件(das Ereignis des Sprach-Gewinns)の索出である。筆者のスタンスは、「理解社会学のコンプレメンタリズム」(Komplementarität der Verstehenden Soziologie) で述べておいた。その立場から、東西文化の思想や宗教の観点・考え方の相違を踏まえ、ヴェーバーの「有為論的類型」に対して「無為論的類型」を合わせて考えることを提唱し、社会学言論の可能性を、東西世界を仕切る「壁の彼方」に模索する。その際に、ヴェーバー社会学と直接の関係にないモデルケース (レヴィナスや史的ダルマ) が積極的に参照される。それは主題のケノーシス論に係わる史的意味連関の解明目的で必要とされること。方法論的喧噪とは別に、主題は寂として界面下にあり、二つの問いで導かれる。1.なぜ『貨幣の哲学(=社会性)』の解がケノーシス論か。2.なぜ禅の公案にアリストテレスの形式論理があるか。一見議論が多岐に渡るようでも、働くモノの史的ルートを辿れば、一つは他への「布石」となり「飛び石」となって、「壁の彼方」を仰ぐヒトの峠道へと読者を案内してくれるはずである。

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