「世間」における「部落民」に対する差別理由の多様性と偏在性

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  • 羽江 源太
    九州大学大学院人間環境学研究科 : 博士後期課程 : 差別問題, 社会意識論

書誌事項

タイトル別名
  • Diverse and Uneven Reasons of Prejudice against the Buraku and/or the Burakumin : Perspectives from the Japanese Sense of Social World
  • 「セケン」ニオケル「ブラクミン」ニタイスルサベツリユウノタヨウセイトヘンザイセイ

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抄録

被差別部落で生活する人々をはじめ、部落問題に関わる人々の悩みのひとつに、「部落民はどういう理由で差別されているのか」という悩みがある。こうした悩みの原因に関してひとつの仮説を提示したい。その際、アイデンティティポリティクス論および野口道彦の「部落民」の定義に関する議論を検討することで、阿部謹也の「世間」論に着目する。本稿では「世間」を日本人の思考や行動の準拠枠と解釈し、「世間」に備わっている部落差別の理由のあり方について、福岡県南の二つの自治体住民に対する量的調査の結果について分析する。それによって明らかにするのは以下の点である。すなわち、1)部落差別の理由は、部落差別独自の理由といえないようなものとして「世間」に備わっている。2)そうした理由は「世間」に多様なかたちで存在している。3)部落差別の理由には多くの「世間」に備わっているものとそうでないものがあり、全ての「世間」が同一の理由を備えているわけではない。4)こうした多様性と偏在性は、歴史的社会的に変化する、ということである。こうした「あり方」が、部落問題に関わる人々に、「部落」というレッテルとそこから一歩踏み込んだ差別理由との整合性、差別理由の妥当性を検討することを余儀なくさせている、というのがここで示そうとする仮説である。

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