<論説>日出処天子と日没処天子 : 倭国王の国書について

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タイトル別名
  • <Articles>Emperors of the place of the Rising Sun and of the place of the Setting Sun : of the credentials of the Japanese king
  • 日出処天子と日没処天子--倭国王の国書について
  • ヒ シュッショ テンシ ト ニチボツ ショ テンシ ワコクオウ ノ コクショ ニ ツイテ

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説明

『隋書』倭国伝の倭王の国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや……煬帝これを覧て悦ばず……」によって、わが国と隋朝との「対等の国交」、または「対等以上の国交」を説き、この日本の態度を煬帝が「悦ば」なかったのであるとする解釈が行なわれた。この従来の理解には「日出ずる処・東・日本」、「日没する処・西・中国・隋」を自明の命題とする「日本史観」ともいうべきものが感じられる。しかし中国の理念はわが国とは同じくない。中国観念からすれば「日出ずる処」「日没する処」は天下のさいはてであった。天下に君臨する「中国天子」煬帝は自らを「日没する処の天子」とは考えていない。また中国観念からは異民族の君長を「天子」と認めることもできなかった。隋朝からすれば倭王の国書は非常識なものであったが、倭王が遣使「朝貢」したので「宣諭」の使節裴世満を派遣したのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 51 (3), 332-359, 1968-05-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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