<論説>再び厄魯特について : ジュンガル王国勃興史の一側面
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- 羽田 明
- 京都大学教授
書誌事項
- タイトル別名
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- <Articles>De nouveau sur les Eleuthes
- 再び厄魯特について--ジュンガル王国勃興史の一側面
- フタタビ ヤクロ トクニ ツイテ ジュンガル オウコク ボッコウシ ノ イチソクメン
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説明
一七世紀の前半から一八世紀の中ごろまで、ほぼ一世紀半の間、西モンゴル族は騎馬民族として、いわば最後の目ざましい活動をした。彼らの国家は一般に「ジュンガル王国」の名で知られている。ただ、ジュンガル部は旧来の慣例に従って〝四オイラット〟とよばれつづけた西モンゴル族の一部族であっても、最初から西モンゴル族の支配部族だったわけではない。一六世紀の八〇年代ごろから一七世紀の半ば近くまで、ホシュート部の優越した一時期があったと考えられる。ホシュート部は東モンゴル系に属しながら、〝四オイラット〟のうちに数えられた一部族である。清朝で〝四オイラット〟と混同されるエルートはこのホシュート部の異称、より正確にはその最盛期の支配氏族の族称であろう。ホシュート部長がオイラット汗を称した時期のオイラット国家は「エルート王国」と呼ぶべきものと考える。
収録刊行物
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- 史林
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史林 54 (4), 544-565, 1971-07-01
史学研究会 (京都大学文学部内)
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キーワード
詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390009224845973120
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- NII論文ID
- 120006596737
- 40001876800
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- NII書誌ID
- AN00119179
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- HANDLE
- 2433/238038
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- NDL書誌ID
- 311334
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- ISSN
- 03869369
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- journal article
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDLサーチ
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可