<論説>再び厄魯特について : ジュンガル王国勃興史の一側面

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タイトル別名
  • <Articles>De nouveau sur les Eleuthes
  • 再び厄魯特について--ジュンガル王国勃興史の一側面
  • フタタビ ヤクロ トクニ ツイテ ジュンガル オウコク ボッコウシ ノ イチソクメン

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説明

一七世紀の前半から一八世紀の中ごろまで、ほぼ一世紀半の間、西モンゴル族は騎馬民族として、いわば最後の目ざましい活動をした。彼らの国家は一般に「ジュンガル王国」の名で知られている。ただ、ジュンガル部は旧来の慣例に従って〝四オイラット〟とよばれつづけた西モンゴル族の一部族であっても、最初から西モンゴル族の支配部族だったわけではない。一六世紀の八〇年代ごろから一七世紀の半ば近くまで、ホシュート部の優越した一時期があったと考えられる。ホシュート部は東モンゴル系に属しながら、〝四オイラット〟のうちに数えられた一部族である。清朝で〝四オイラット〟と混同されるエルートはこのホシュート部の異称、より正確にはその最盛期の支配氏族の族称であろう。ホシュート部長がオイラット汗を称した時期のオイラット国家は「エルート王国」と呼ぶべきものと考える。

収録刊行物

  • 史林

    史林 54 (4), 544-565, 1971-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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