<論説>第一次国共合作時期の広東省農民運動

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タイトル別名
  • <Articles>The Peasant Movement in Kwangtung 広東 during the First Nationalist-Communist Cooperation
  • 第一次国共合作時期の広東省農民運動
  • ダイイチジ コッキョウ ガッサク ジキ ノ カントンショウ ノウミン ウンドウ

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抄録

第一次国共合作後、広東省では中国最初の組織的農民運動が開始された。当時、省内各地には軍閥が割拠し、国民党の勢力はきわめて弱体であった。国民党には、是非とも農民を組織する必要があった。農民運動を指導したのは共産党員であった。各地に農民協会が樹立されはじめると、郷村の紳士・地主の権力機構である「民団」とのあいだに、衝突がおこった。階級闘争を否定する国民党の側からは、共産党員が農民運動を牛耳り、いたずらに衝突を引きおこすという非難が集中した。しかし、省内の統一過程にあっては、農民協会の発展は少くとも国民党に有利であった。広東省が統一されると、国民党は農民の要求に答えなかった。農民の反撥に対しては、行政干渉という非難がおこなわれた。民団と農民協会の衝突にも、治安を乱すという非難があびせられた。さらに、北伐の開始は、後方の安寧確保という名のもとに、農民の要求を封じこめた。一方、農民運動は、ごく一部の地域をのぞいては弱体であった。また、北伐の後方基地という情況からも、省内では郷村政権の奪取というスローガンは、だしえなかった。このようないきづまりのなかで、広東省農民運動は、圧殺されていった。

収録刊行物

  • 史林

    史林 58 (6), 889-927, 1975-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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