<論説>京進米と都城

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タイトル別名
  • <Articles>Kyoshinmai and Tojo : Rice-tax and the Development of the Ancient Capital of Kyoto
  • 京進米と都城
  • キョウシンマイ ト トジョウ

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説明

九・一〇世紀になると調庸制が衰退し、それまで蓄積されていた正税が費消されるようになるが、従来の研究では、国家財政において正税以下の重貨の果たす役割が大きくなっても、そこには調庸の補完物としての消極的な意義しか見いだされなかった。しかし、今後は、九・一〇世紀を律令財政の変容過程、あるいは中世的な国家財政の形成に至る過程とする視点から、正税以下の重貨が国家財政において比重を増した点を正しく評価し、そこに当時の国家財政の特質を見いだすべきであると考える。本稿は、こうした問題関心に基づき、都城の発展との関わりで京進米について考えてみたものである。 八世紀においては、租税として京進された米は官人・役丁などの食料米のみであり、したがって、その量はわずかであった。ところが、八世紀末以降、とりわけ九・一〇世紀になると地子米の量が増え、また官人給与にも春米が充てられるなど、京進米の量が増加する。これは九世紀になると都城住民が農業生産から離れて消費者人口が拡大したため、米に対する需要が高まるとともに、米が交換手段として有利になった結果である。このように古代都城から中世都市への移行を背景として京進米が増加するのだが、国家財政において正税以下の重貨の占める比重が大きくなる意味もまたこうした動きの中で理解されねばならないのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 72 (6), 859-897, 1989-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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