<論説>朝鮮半島錦江下流域の三国時代墓制

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タイトル別名
  • <Articles>Tombs of the Three Kingdoms Period in the Kum Basin, Korea
  • 朝鮮半島錦江下流域の三国時代墓制
  • チョウセン ハントウ キンコウ カリュウイキ ノ サンゴク ジダイ ボセイ

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抄録

本稿は、六・七世紀の百済の中心地であった朝鮮半島錦江下流域の三国時代墓制の変遷を検討し、そこから当該地域の歴史的変遷を考察することを目的とする。まず、古墳に副葬された土器と百済王陵の埋葬主体の編年案を提示し、それをもとに三期にわたる墓制の変遷を検討した。錦江I期には、竪穴式石室を埋葬主体とし広口長頸壺・高杯形器台などを副葬する独自の墓制が存在していたが、錦江II期には、種々の横穴式石室を埋葬主体とし、杯・三足杯などを副葬した新たな墓制が出現し、竪穴系の石室のような以前の墓制の要素は断片的に残るのみとなる。そして、錦江III期になると、王陵と同系の平斜天井石室が普及する。こうした墓制の変遷は、全羅道などの他地域でもうかがわれ、それは、独自の墓制を有していた錦江下流域の地域共同体が、熊津遷都を契機として移動してきた百済中央勢力に階層的に組み込まれ、その後さらに画一的な地方支配の下に組み込まれていくという、百済中央勢力の地方支配のあり方の変化を反映していると考えられる。

収録刊行物

  • 史林

    史林 74 (1), 63-101, 1991-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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