<論説>柳田民俗学と東大新人会 : 大間知篤三を中心に

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タイトル別名
  • <Articles>The Folklore Studies of Yanagita Kunio and Todai Shinjinkai : With special reference to Omachi Tokuzo
  • 柳田民俗学と東大新人会--大間知篤三を中心に
  • ヤナギタ ミンゾクガク ト トウダイ シンジンカイ オオマチ トクゾウ オ チ

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抄録

一九二〇年代後半の学生社会運動を主導した東京帝大新人会の活動家の一部が運動離脱後、柳田国男の民俗学に傾倒した現象は、かつて民衆への洞察を欠いたことに対する彼等の自省から生じたとの位置づけがなされている。だが活動家時代、彼等の多くが福本主義を旺盛に摂取し、三〇年代以降は翼賛運動下でアジア主義に傾斜していく行程は、「山村生活調査」に見られる着実な民俗採集の積み重ねを基調とし、安直な他民族の習俗との比較や論断を許さない柳田の方法論との間に元々齟齬をきたす可能性を秘めていた。自らも新人会出身者であると同時に敗戦前、柳田の薫陶を最も受けた民俗学者の一人である大間知篤三が旧「解党派」の水野成夫、浅野晃等と国民思想研究所に於ける家族制度調査、『アジア問題講座』の編集を通して「民間伝承の会」とは別個の思想環境を維持し、戦後柳田から離れていく軌跡はそのことを示唆している。戦時下に行われた轗軻のマルクス主義者と柳田の交流は、柳田民俗学の包容力に寄せて取り上げられる以外に、「師とその弟子」という関係に於ける蕩藤を内包していたのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 77 (4), 572-604, 1994-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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