<論説>一一世紀アラゴン王国における国王法廷と和解

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タイトル別名
  • <Articles>The Royal Court and Compromises in Eleventh-Century Aragon
  • 11世紀アラゴン王国における国王法廷と和解
  • 11セイキ アラゴン オウコク ニ オケル コクオウ ホウテイ ト ワカイ

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抄録

一般に一一世紀西欧では、公的裁判組織の解体にともない、その頂点に立つ国王法廷さえもが、当時者主導の和解を調停する仲裁法廷に変質したと想定されている。だが一一世紀におけるアラゴン国王の法廷はむしろ、西ゴート法由来の審理手続に沿って、勝敗を決する判決を下すのが常であった。ただし紛争の解決手段として和解が必要と判断された場合には、ひとまず国王法廷で勝敗を決したのちに、国王が立会いはするものの法廷という形をあえてとらないか、もしくは国王の直属封臣であるバロンの法廷に案件を移管して和解させるという措置をとっているのである。これは、社会の現実的要請に対処しながらも、自らは強制的判決を下しうる存在であることを誇示しようとする、国王法廷のしたたかな戦略だったのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 83 (6), 1010-1039, 2000-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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