<論説>古代ガリア社会におけるケルトの伝統 : ガロ=ローマ文化の形成

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>La tradition celtique en Gaule : la formation de la culture gallo-romaine
  • 古代ガリア社会におけるケルトの伝統--ガロ=ローマ文化の形成
  • コダイ ガリア シャカイ ニ オケル ケルト ノ デントウ ガロ ローマ ブンカ ノ ケイセイ

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説明

ケルト人は、紀元前四世紀の初めにはローマ、紀元前三世紀の初めにはデルフォイを略奪し、西はイベリアから東はアナトリアにまで達したといわれている。その過程で、ケルトの宗教はギリシアやエトルリアなど、地中海世界からの影響を受けながら、独自の観念を発達させてきた。彼らの宗教において、特に重要な要素は神々への信仰であり、カエサルの記述によれば、「メルクリウス」や「マルス」などのラテン語の名称を与えられた神が重視されていた。ケルト社会は社会と宗教が密接に結びついており、その考察には宗教の解明が必須である。本稿では、ローマ征服以前から、三世紀頃まで、宗教に焦点を当てて、ガリアにおけるケルト社会を考察した。ケルトの神々は、その名称がラテン語の名称を与えられたものと、ケルト語に由来するものとに分けられる。前者に関しては、考察の結果、ケルトには、メルクリウスやマルスに一対一で対応する神は存在しておらず、土着の信仰がローマの影響により、「メルクリウス」や「マルス」といったローマ風の名のもとに収斂されて崇拝されたものであることが明らかとなった。ケルト語の名称を持つ神々の中から、代表的な例としてエポナを取り上げ、考察を加えた結果、このグループの神々は、ケルト人の動物崇拝が、地中海世界との接触により、人の姿をした神として具現化されたものであるという結論に達した。こうして、ガリアは、表面上「ローマ化」したように見えながらも、信仰が、個々人の手で保持されたことによって、ケルトの伝統が存続し続け、ローマの要素と融合し、「ガロ=ローマ」と呼ばれる文化を生み出したと考えることが出来るであろう。

収録刊行物

  • 史林

    史林 86 (4), 535-566, 2003-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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