<論説>薩長同盟の展開 : 六ヶ条盟約の成立

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Development of Satsuma-Choshu Alliance : The Conclusion of the Six-Article Pledge
  • 薩長同盟の展開--六ヶ条盟約の成立
  • サッチョウ ドウメイ ノ テンカイ 6カジョウ メイヤク ノ セイリツ

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説明

慶応二年一月に薩長が結んだ六ヶ条の盟約は通常「薩長同盟」と呼ばれ、武力倒幕を目指す政治・軍事的提携の「成立」とみられてきた。だが同盟は、既に慶応元年九月に成立していた。本稿では六ヶ条盟約を同盟関係の「展開」の一段階と位置づけ、その成立過程を以下のように論証した。同年九月に長州再征勅許が出されたのをうけ、薩摩は再征阻止に向け軍事力行使を決意した。しかし幕府は進軍せず情勢不透明となり、戦略を相談し直すべく、慶応二年一月に木戸孝允・西郷隆盛らの京都会談が実現した。会談で西郷は、事実上の再征撤回を含んだ幕府側の処罰令受諾を勧めたが、木戸は処罰を頑なに拒否した。藩主の方針に矛盾し、他藩も納得し難いこの強引な村応は、木戸が社稷存続を第一義におく藩官僚から、藩を道具としてでも国家的構想に立つ政治家へと脱皮していたためであった。この平行線の状況下に坂本龍馬が到着、その周旋により西郷らは譲歩し、盟約は成立する。六ヶ条盟約とは、薩摩が長州の処罰一切拒否論を承認し、その結果可能性が高まる幕長戦争についても全徳川勢力との決戦を約束する、というものであった。つまり薩長の政治的提携関係は、成立当初より一貫して軍事同盟という性格を帯びていたのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 88 (4), 511-545, 2005-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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