<論説>神社建築の形成過程 : 平安時代前期・中期を中心に

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Formative Process of Shrine Architecture, Focusing Chiefly on the Early and the Middle Heian Period
  • 神社建築の形成過程 : 平安時代前期・中期を中心に
  • ジンジャ ケンチク ノ ケイセイ カテイ : ヘイアン ジダイ ゼンキ ・ チュウキ オ チュウシン ニ

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説明

天武朝の官社制創出に伴って、律令神祇祭祀制度が確立されるとともに、神社の施設が整備されるようになったとされている。しかし神社建築が七世紀後半以後直ちに全国に一律に流布してゆくわけではない。官社制の下での神社建築は、いつ、どのような過程で全国に流布していったのか。神社数の変化、神社修造・清掃政策、国史に見える神社施設の実態、発掘遺構などから知られる建築の形式などの検討を通じて、平安後期までに定型的な神社建築が徐々に建設されるようになってゆく過程と、神社建築の多様性の淘汰の過程を検討した。具体的には以下の点を明らかにした。平安前・中期に、国家は神社建築の造営・修理・維持管理や清浄に保つことを全国の諸社に命じ続けた。この対象となる神社は、限定的なものだったと考えられるし、その命令は迅速には貫徹しなかった。そのような中で、徐々に神社本殿等の施設が全国の神社に浸透していった。しかし、平安時代中期になっても神社の建築に関しては、本殿を持つ神社も、持たない神社も混在し、さらに発掘遺構などから見て本殿があったとしてもいまだ画一的な形式とはならず、七世紀以前の古風な建築形式を模倣したかと思われる本殿も含まれていた。神社本殿を建設することが定着し、限定的な建築形式に収蔵するのは少なくとも十二世紀に降る。官社制の成立が直ちに一律に神社本殿の建設をもたらしたのではなかった、その具体的様相を解明した。

収録刊行物

  • 史林

    史林 98 (5), 675-707, 2015-09-30

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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