<論説>琉球使節の成立 : 幕・薩・琉関係史の視座から

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Establishment of Ryukyuan Embassies : From the Viewpoint of Historical Relations between the Shogunate, Satsuma and Ryukyu
  • 琉球使節の成立 : 幕・薩・琉関係史の視座から
  • リュウキュウ シセツ ノ セイリツ : マク ・ サツ ・ リュウカンケイシ ノ シザ カラ

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説明

本稿は、従来不分明であった琉球使節の成立過程を明らかにすることで、近世琉球の地位の確定を論じるものである。寛永一一(一六三四) 年に京都に上った琉球人は、再検討の結果、先行研究にいう「恩謝使」ではないことが判明した。「御代替」(徳川秀忠→家光) を名目に、薩摩藩が急遽仕立て上げたこの一行を、琉球使節の嚆矢と見ることはできない。寛永一一年には、家光が島津氏に琉球高を宛て行ったことから、琉球が島津氏に属するという側面、すなわち「附庸」が確定したのであった。その後、寛永二一年に挙行された江戸上りは、(1)徳川・尚家の慶弔事という継続性のある名目に対し、(2)薩摩藩主が引率したもので、(3)琉球国王が正式に派遣したものであることから、ここに琉球使節が成立したといえる。寛永二一年の琉球使節により、幕府と書を交わす「異国」=琉球が確定し、「附庸」と「異国」の二要素から成る近世琉球の地位は、ついに確定を見たのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 99 (4), 525-557, 2016-07-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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