<論説>国衙領における領主制の形成

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タイトル別名
  • <Articles>The Formation of the Landlord System in Kokuga's 国衙 Territory

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説明

鎌倉時代の一時期に、若狭国で明らかにされるごとく、中世の国衙領は荘園とならんで広大な領域を占めていた。この広大な国衙領は平安末期以来、旧来の徴税領域たる「郷」が解体し、あらたに「別名」が広範なる成立をみせて、それ自体大きな変貌をとげていた。「別名」の形成により、その領主達の領内農民に対する「勧農権」の行使が体制的に確認されるにいたり、時代の進展とともに鎌倉時代の初頭をすぎれば、この勧農権が下地進止権へと継承転化されていくのである。かくして別名の形成とは領主制の生誕を具体的に示すものにほかならぬのであるが、さらにこれは、国衙の各構成員達が、平安末期にそれぞれの職掌に従って国衙の体制を変換させつつ旧来の郷を分割し、数多くの在庁別名を成立させたことによつて、国衙領そのものが体制的に封建的構成へと一定度の傾斜をとげるきつかけともなったものである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 43 (1), 46-69, 1960-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

キーワード

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390009224848643968
  • NII論文ID
    120006818234
  • NII書誌ID
    AN00119179
  • DOI
    10.14989/shirin_43_46
  • HANDLE
    2433/249465
  • ISSN
    03869369
  • 本文言語コード
    ja
  • 資料種別
    journal article
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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