<論説>イランの首都テヘラーン

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>Tehran, Capital of lran
  • イランの首都テヘラーン
  • イラン ノ シュト テヘラーン

この論文をさがす

説明

イランの首都テヘラーンはエルブールズ山脈の南麓に発達した広大な扇状地に位置している。テヘラーンの周辺は気候は乾燥しているが、エルプールズ山地の融雪水や地下水にめぐまれ、また交通の中心をなすため、イランでは最も早く開発された地域の―つであり、古代にはレイがその中心で、セルジューク朝の首都として繁栄した。しかしモンゴール軍の侵入によってレイは廃都となり、それにかわってテヘラーンが発逹するようになり、サファヴィ朝にはテヘラーンに城壁が築かれた。さらにカジャール朝にはテヘラーンはイランの首都となり、市域の拡大によって、サファヴィ朝の旧城壁は撤去され、パリーにならって八角形の新城壁がつくられた。しかしテヘラーンが近代都市として発逹するようになったのは、現在のパフラヴィ王朝のレザー・シャーの時代になってからである。テヘラーンは今日では中東地方においてカイロに次ぐ大都市であり、人口約一六〇万を有するが、典型的な消費都市であり、周辺には衛星都市の発逹はみられず、都鄙の懸隔が顕著である。また都市内部においても、その社会構成を反映して、近代化された市街と、近代化からとり残されたスラム街的な市街との対照が著しい。

収録刊行物

  • 史林

    史林 46 (4), 660-681, 1963-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

キーワード

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ