藩校における中国書院の受容と変容 : 「白鹿洞書院掲示」を手がかりに

書誌事項

タイトル別名
  • Acceptance and Transformation of Chinese Shuyuan System in Edo Period : A View of the Use of the Bailudong Shuyuan Revelation
  • 日本藩校对中国书院的受容与变容 : 以《白鹿洞书院揭示》为线索

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抄録

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[要旨] 中国の書院は宋から本格的に始まり、次第に数を増やしたと同時に、「学問、教育、蔵書、祭祀、書籍作成、経営(学田)」などの複合的な機能を備えもつ機構となった。近世日本に書院がどのような影響を与えたか、議論が分かれるこの課題について、本論文では書院の教育思想を集約する「白鹿洞書院掲示」が藩校にどのように使われたかを中心に分析した。論文は全六節から構成している。序論に続いて、第二節では書院制度の確立とその変遷を概観し、第三節では江戸時代において教育理念としての「白鹿洞書院掲示」が如何に思想として受け入れたかを考察した。第三節、第四節では関山邦宏(1977)に対して検討を行った上、そこに収録していない八校の藩校において「白鹿洞書院掲示」がどのように使われたかを考察した。結論として、第五節、第六節は「白鹿洞書院掲示」が学則としてのみならず教育内容としても応用している受容の側面として指摘し、また祭祀活動、蔵書の面において藩校が書院の基本的な形式を踏まえつつも独自の変容を図った様態を明らかにした。

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