楊家将「五郎為僧」故事に関する一考察

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抄録

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明代に出現した二つの楊家将小説『北宋志伝』と『楊家府演義』には、楊業の第五子である楊五郎が契丹軍の囲みを抜け出し、五台山で出家する情節が見える。一方、宋代に編纂された複数の史書には楊業の息子が僧侶となる記述が見えない。では、史書には見えない「楊家将」の一員が「僧侶」となる故事は、どのような過程を経て出現したのだろうか。最初に「楊家将」と「僧侶」が結びついた例が見えるのは、南宋の話本「五郎為僧」であるが、注目されるのは、その後の元雑劇などに見える楊五郎が、五台山と深い関係を持っていることである。五台山は、仏教の霊場であるとともに、北辺に位置するという地理的条件から、古来、軍事的要衝でもあった。そのため、南北宋交替期の靖康の変の際には、五台山の僧兵たちが、抗金勢力となって金軍と戦った例が宋代の史書に複数みえる。こうした北敵の金と戦った山西五台山の僧兵の姿は、もともと西北系の軍人のために創設された南宋の瓦舎において芸能化されてゆき、それによって、同じく北敵の契丹と戦った山西の英雄「楊家将」の芸能と融合していったと推測される。その結果、五台山に出家し、対契丹戦で活躍する楊五郎の故事が出現したと考えられるのである。

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