韓国「近代文学」への問いかけ : 中上健次『物語ソウル』を中心に

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  • カンコク 「 キンダイ ブンガク 」 エ ノ トイカケ : チュウ ジョウケンジ 『 モノガタリ ソウル 』 オ チュウシン ニ

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抄録

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日韓文学界の交流がほとんどなかった一九七〇年代後半から八〇年代にかけて、韓国社会に親しみ、金芝河、尹興吉、黄晳暎など文学者との交流を深めた日本人作家がいた。中上健次である。本稿は、こうした韓国体験に基づいた中上の視線を借りて、彼が関わった軍事政権下の韓国「近代文学」の実態を探るとともに、当時の韓国「近代文学」への問いかけとして書かれた『物語ソウル』を取り上げ、作者の執筆意図とその意義について考察したものである。 まず、韓国「近代文学」の実態の検討にあたっては、尹興吉の二つの作品「長雨」と「九足の靴で居残った男」に着目し、二つの作品に対する中上の褒貶相なかばする評価の理由を検証する。二つの作品(群)に向けられた対照的な評価は、中上の「近代文学」=西洋文学/「脱近代文学」=東洋文学といった図式のうえに成り立っていたが、その背景には「分断文学」「植民地文学」「労働文学」などの「近代」的な「テーマ小説」が蔓延する韓国「近代文学」の現状があった。 『物語ソウル』は、こうした韓国「近代文学」の偏向に対して、「近代」を相対化する視野を提案するために、中上の一つの答えとして書かれた極めて戦略的な作品である。とりわけ、小説「物語ソウル」において中上が試みた脱近代は、作中人物のキャラクター造形を中心に、韓国の伝統的な二つの物語『春香伝』と『張吉山』を「導入」し、それを交差させ、さらに「解体」する方法によって成されていた。こうした中上ならではともいえる物語の脱構築を用いることで、中上は『春香伝』のなかに孕んでいた三つの「近代」的な問題(知性、貞節、二項対立)を三段階に分けて「解体」してみせていた。 さらに本稿では、日本での受容にまで視野を広げ、写真家荒木経惟との共著『物語ソウル』が、晩年の『遺族』や『南回帰船』に代表されるように、「平面」的で「劇画的」物語へと接近して行く中上の作品世界の転換の始発点にあたることをも検討した。

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