北条・徳川間外交の意思伝達構造

書誌事項

タイトル別名
  • Structure of the "diplomacy" of the Hojo clan and the Tokugawa clan
  • ホウジョウ ・ トクガワ カン ガイコウ ノ イシ デンタツ コウゾウ

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説明

本稿では、甲斐武田氏を素材に検討した大名間外交の取次構成(一門・宿老と当主側近)という形が、相模北条氏においても確認できることを明らかにする。その際、一門・宿老を「取次」、側近を「小取次」と新たに把握し直し、北条氏外交の特徴を論じた。特に着目したのは、①遠国大名と近国大名との交渉における取次のあり方の違いとその理由、②取次の立場からうかがえる権力構造の相違と変化、という点である。 そこで明らかにした北条氏外交の具体的事例として、徳川氏との同盟を検討した。同盟交渉には3 段階の時期があり、北条氏規が取次をつとめた相三同盟段階(永禄12年~元亀2 年)、織田信長との外交を視野に入れ、北条氏照が氏規に取って代わった第一次相遠同盟段階(天正7 年~10年)、氏規が取次に復帰した第二次相遠同盟段階(天正10年~)の順に検討した。氏照が徳川氏担当取次になったのは彼の独断行動の可能性があるが、最終的に氏規がその地位を取り戻し、「取次・小取次」の態勢を調えた。 徳川氏との外交は、近国大名との交渉である。このため、きめ細かい交渉が必要となり、早くに「取次・小取次」の形が整えられたといえる。 外交面での「取次・小取次」の構成は、従属国衆への取次役「指南・小指南」と同一の構成であり、これが戦国大名北条・武田両氏の特徴である。最後に、「取次・小取次」が受け取った書状はどこに「集積」されるかを検討し、大名に進上されるわけではなく、書状を受け取った取次の家に伝来されるものであるという見通しを述べた。 In this article, I investigates a negotiator who are responsible for “diplomacy" in the Hojo clan. I named “Toritsugi" the negotiators of a chief vassal and sept. I was designated as “Kotoritsugi" the negotiators of entourage. I discuss the characteristics of the “diplomacy" of the Hojo clan. Viewpoints is a difference between responsible for the Daimyo of the distant of “Toritsugi" and responsible for the Daimyo of the neighborhood of “Toritsugi". Then, being appointed a “Toritsugi" I consider someone. Based on the results, to analyze the power structure of the Hojo clan. As a concrete example, I pick up the alliance with the Tokugawa clan. For the Hojo clan, “diplomacy” and the Tokugawa clan can be classified into negotiations with the neighboring Daimyo. Therefore, it becomes necessary detailed negotiations, a combination of “Toritsugi" and “Kotoritsugi" is satisfied. Finally, I investigates the storage location of the letter that was sent to the “Toritsugi". Not be passed to the Daimyo letter. I describe the outlook letter that is stored at the home of “Toritsugi".

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