<論文>二重の神話化 : 日本における『戦艦ポチョムキン』上映史

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タイトル別名
  • <Articles>The Double Mythization: A History of Screenings of Battleship Potemkin in Japan
  • 二重の神話化 : 日本における「戦艦ポチョムキン」上映史
  • ニジュウ ノ シンワカ : ニホン ニ オケル 「 センカン ポチョムキン 」 ジョウエイシ

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抄録

日本におけるソ連映画の受容は, 映画そのものではなく, 映画理論を輸入するところから始まった。日本では1920年代から30年代にかけて, 革命後のモンタージュ理論の紹介が盛んに行われ, 多彩な理論家たちが輩出されていった。わけても, 共産主義が流行した同時期は「傾向映画」の登場もあり, ソビエト映画理論の紹介とプロレタリア映画理論が紙上を賑わせた。ソビエト映画は日本に輸入されても, 内務省の検閲却下によって上映禁止になっており, 戦前の日本ではソビエト映画はほとんど公開されなかった。そのため作品よりも理論が先行で受容されるという特異な状況になっていた。「モンタージュ」は一種の流行語となり, 日本文化と遭遇し, 新しい機械美学として称賛され, 左翼路線と相乗したソビエト文化の一環として広範囲に受容されたのである。戦後, ようやく映画そのものが受容されるようになり, 50年代後半にソビエト映画の半世紀遅れの日本初公開がピークを迎える。それはもっぱら自主上映活動を通じてであった。『戦艦ポチョムキン』は, 1959年に自主上映の形で広まり, 一般の興行ベースで初公開されたのが1967年であった。この上映を皮切りに, これまで上映されてこなかった1920年代のソビエト映画の上映運動が高まっていく。このように, 戦後のプロレタリア文化運動の一環で, 全国の労働組合や映画サークルによるソビエト映画の自主上映活動が活発化した。京都大学人文科学研究所に寄贈された山本明コレクションは関西を中心とした自主上映活動の重要な記録である。このように, 日本の場合は戦前にソビエト映画の輸入が禁止されたせいで, 理論先行でモンタージュ論が受容され, まずここで「幻の映画=ポチョムキン」神話が作られた。それから戦後, 一般公開に向けての粘り強すぎる戦いと自主上映を通じて, ようやく封切りに至るその過程そのものが「世紀の名作=ポチョムキン」神話となっていった。自主上映活動は『戦艦ポチョムキン』という作品だけではなく, そのカノン化された評価やソビエト文化のコードとしての役割と向き合っていたようにも捉えられる。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 116 85-106, 2021-03-31

    京都大學人文科學研究所

参考文献 (12)*注記

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