<論文>岸旗江という女優 --その売り出し方にみる1950年代「独立プロ映画」のイメージ戦略

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タイトル別名
  • <Articles>Promoting Actress Kishi Hatae -- 1950s Dokuritsu Pro Filmmaking and Its Image Policy
  • 岸旗江という女優 : その売り出し方にみる1950年代「独立プロ映画」のイメージ戦略
  • ガンキコウ ト イウ ジョユウ : ソノ ウリダシ カタ ニ ミル 1950ネンダイ 「 ドクリツ プロ エイガ 」 ノ イメージ センリャク

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抄録

独立プロダクションとは従来, 大会社に所属をせずに, プロデューサーや監督, 俳優などの製作者主体に行う映画作りを行うプロダクションを指すが, 日本映画史の文脈においては, 戦後の東宝争議とレッド・パージで撮影所を追われた左翼的な映画人が中心となって起こした映画運動として, 広く認識されている。「独立プロ」という表現が, ある特定の映画運動を意味するようになった背景には, 「独立プロ」という言葉に対する研究者や評論家, そして1950年代に自主製作を始めた映画人自らの強い拘りがあった。1950年代に生まれた左翼的な映画群は, 同時代的な商業映画との接点を一切持たない, 思想的なオルターナティヴとして大々的に宣伝された。しかし, これらの映画テクストには, 商業的メインストリームとの否定しがたい連続性がある。このことを端的に示しているのは, 左翼的な自主映画の看板女優として活躍してきた岸旗江のメディア・イメージである。東宝ニューフェイス第1期生として, 1947年にデビューを果たした岸旗江をめぐる言説のなかで, 繰り返し強調されたのは, その庶民的な性格と, プロレタリアな経歴, そして東宝きっての大スターである原節子との「そっくりな」外見である。戦後初期の日本で左翼的な思想を視覚化していたはずの岸旗江が, その独自な魅力を最大限に発揮出来たのは, 原節子という支配的イデオロギーを象徴するスターとの比較を通してであった。観客を刺激しすぎない, ありきたりな「形」に対する, 斬新で特異な「内容」を強調するアプローチは, 岸旗江という女優の売り出し方に限らず, 独立プロという映画運動全体のイメージ構築に特徴的だった。娯楽的な商業映画とのジャンル的な接近も, そうしたイメージ戦略の一貫で, 意図的に進められていた可能性が高い。独立プロ映画の芸術的特徴や, その歴史的な存在意義, 戦後の日本におけるジャンル映画の系譜を考え直す上で重要な手掛かりである。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 116 53-67, 2021-03-31

    京都大學人文科學研究所

参考文献 (19)*注記

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