「産業廃棄物」は東の海へ 「海洋博」 をめぐる人の移動 : 本部茂『東山里五郎の奇妙な日帰り出張』について

書誌事項

タイトル別名
  • “Industrial wastes” to eastern sea of Okinawa island : migration around Okinawa International Exposition '75 : On Motobu Shigeru's“ HigashiyamazatoGoro no kimyona higaerishutcho”
  • 「 サンギョウ ハイキブツ 」 ワ ヒガシ ノ ウミ エ 「 カイヨウハク 」 オ メグル ヒト ノ イドウ : ホンブモ 『 ヒガシヤマザト ゴロウ ノ キミョウ ナ ヒガエリ シュッチョウ 』 ニ ツイテ

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抄録

日本復帰記念事業として位置づけられた沖縄国際海洋博は沖縄の社会や経済を大きく変えた出来事であった。海洋博を主題とした大城立裕『華々しき宴のあとに』(1979)が、登場人物を「ヤマト/沖縄」に割り振ることで海洋博をめぐる政治経済的諸問題を代弁させ消化してしまうのに対し、沖縄内部を流れゆく「浮浪者」の「老人」に焦点を当てた、本部茂の小説『東山里五郎の奇妙な日帰り出張』は、当時の沖縄がさらされた暴力の問題を個人主体の物語に回収することなく米軍覇権を軸とする東アジアを包含した歴史的社会的文脈へと送り返している。「老人」の移動経路からは、皇太子来沖をめぐる過剰警備や、本島東海岸における石油備蓄基地等の乱開発などが見えてくる。本稿では、テクストにおける「行旅法」の引用を通じて、運用次第で「老人」を都合よく管理する法の問題を考察する。次に、もの言わぬ「老人」が唯一自らの自己同一性の証明として所有していた名刺が、「老人」とその「処置」に巻き込まれた町役場衛生課の「五郎」の、二人のどちらもが戦後のアメリカ統治下の社会から「産業廃棄物」として吐き出された記憶を呼び起こすものとして機能することを論じる。最後に、海洋博をめぐる巨大な資本の流れとは異なるかたちで、「老人」と「五郎」の間で物や金が流通し、また二人の利用するバスや船において観光客の大量輸送機関としての目的に還元されない空間が生起することに言及する。

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