子供の無意図、もしくは神 : 賽の河原の石積みは造形遊びか

書誌事項

タイトル別名
  • No intention of children, or God: Is Stacking stones at the dry riverbed of the Sanzu River Formative Plays?
  • コドモ ノ ムイト 、 モシクワ カミ : サイ ノ カワラ ノ イシズミ ワ ゾウケイ アソビ カ

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説明

親より先に亡くなった子供たちが、その親不孝の罪を償うために賽の河原で石積みの刑に服するという俗信である石積みの行為は、造形遊びではないかとの考えに至った。その俗信の原説は、法華経にある「乃至童子戯 聚沙為仏塔 如是諸人等 皆巳成仏道」であり「無垢な子供の遊びとしての仏塔づくりにも功徳がある。」という意である。放課後の校庭に残された、自然発生的な造形遊びには、自然物で構成され、中でも石積みはよく出現する。有史以前の遺跡にも石がよく使われ、子供達も無意識のうちに石を集める。また、そうした造形遊びには、中心に自然物で構成されたものを円で囲む行為がよく見られる。円形で囲んで内と外を区別する行いは、古来から宗教的な理由によって「結界を張る」行為に共通するものであり、円自体が自然界ほとんど無い形であるにも関わらず表現されることが多いのである。子供がある意図をもって表現するためには、円や結界の持つ意味やもたらす効果について理解していることが必要だが、造形遊びを行うのは幼い子供たちである。こうした子供達は石や自然物、円を無自覚に、無意図に表現しているのである。その無意図こそ、人知を超えた「神」と呼ばれる存在がもたらすものではないかと考えられる。造形遊びが小学校現場において広く膾炙されているにも関わらず実践が少ないのは、造形遊びに平面表現や立体表現の内容と教育の方法を支える親とも喩えるべき美術史上の伝統がないためと考える。本論は、造形遊びが人間の本質―ユングの述べる元型との関連で語れるとの予想に立って、平面や立体表現のように造形遊びを支える体系の構築を目指すための研究ノートである。

収録刊行物

  • 作大論集

    作大論集 (10), 33-42, 2020-02-15

    作新学院大学・作新学院大学女子短期大学部

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