医学研究・教育への参加を通じた身体の意味づけ——1950年代から60年代における長崎・東京・愛知の遺体提供団体の事例から——

書誌事項

タイトル別名
  • Perceptions on Bodies of Laymen Participated in Medical Research and Education: From Cases of Body Donation in Nagasaki, Tokyo, and Aichi in the 1950s–60s
  • 医学研究・教育への参加を通じた身体の意味づけ : 1950年代から60年代における長崎・東京・愛知の遺体提供団体の事例から
  • イガク ケンキュウ ・ キョウイク エ ノ サンカ オ ツウジタ シンタイ ノ イミズケ : 1950ネンダイ カラ 60ネンダイ ニ オケル ナガサキ ・ トウキョウ ・ アイチ ノ イタイ テイキョウ ダンタイ ノ ジレイ カラ

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抄録

<p>本稿の目的は、医学研究や教育に参加する素人の動機や意味づけを明らかにすることである。高度な科学的医療においては、治療だけではなく研究や教育の重要性が増すとともに、専門職だけではなく素人が関与する度合いが高まる。これまで、医学研究・教育への素人の参加は、医学への「貢献」や「資源化」として捉えられてきたが、素人の動機や意味づけは十分明らかにされてこなかった。</p><p>そこで本稿では、医学研究や教育のために自身の遺体を自発的に大学病院などに提供する献体の歴史に着目する。とくに、1950年代から60年代における長崎、東京、愛知の団体において、遺体提供が、「皇族」「戦争死者」「地域開発の犠牲者」といった死者に殉ずる行為として意味づけられてきたことを明らかにする。そして、遺体の提供を通じて、生者と死者の関係が再編されてきたことを述べる。</p>

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