鹿児島県硫黄島の軽大臣灯台鬼伝承と徳躰神社

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  • カゴシマケン イオウジマ ノ カルノオトド トウダイキ デンショウ ト トクタイ ジンジャ

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抄録

鹿児島県硫黄島にある徳躰神社(とくたいじんじゃ)は灯台鬼にされた遣唐使軽大臣を祀っているとされる。徳躰とは灯台のことで、徳躰神社の「徳躰」には「灯台鬼を祀る」という意味が込められていると推定される。天保十四年(一八四三)に成立した薩摩藩の地誌『三国名勝図会』には、硫黄島社の説として、斉明天皇二年八月二十五日、硫黄島に漂着して亡くなった軽大臣の骨を徳躰神社に納め、本国へは遺髪を持ち帰ったという伝承があると記されている。また、硫黄島の長濱家文書の中に「社例根元之覚」と題されたものがあり、それによると、斉明天皇の時代に、参議春衡卿が父君軽ノ右大臣の御陵守として山田蔵人という者を島に留め置き、この人が三年滞在して帰った後、セッカントウニンという人が派遣されてきて、縁日を立てて島中の安全を祈ったという。硫黄島に伝承されている遣唐使「軽大臣」にまつわる伝説がどのように伝承されていったのか、徳躰神社管理の問題などについて考察した。

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