伊藤高志の映画における人物表現 : ジル・ドゥルーズのフィギュールを援用して

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書誌事項

タイトル別名
  • Human figures in films of Itoh Takashi : with the help of Gilles Deleuze's Figure theory
  • イトウ タカシ ノ エイガ ニ オケル ジンブツ ヒョウゲン ジル ドゥルーズ ノ フィギュール ヲ エンヨウ シテ

抄録

研究ノート

本稿は、日本の映像作家、伊藤高志の比較的初期の作品『GHOST』(1984)と『ビーナス』(1990)に現れる人物表現について考察するものである。伊藤の作品はしばしば、不気味、幽霊的と称されながらも、初期の特異な人物表現に対してあまり語られることはない。人気のない空間の連続写真を再撮影したデビュー作の鮮烈な印象ゆえに、作品の構造面と不在を軸に語られることが多く、そこでも幽霊などの鍵語が用いられる。そこで、人物表現に焦点を当てることで、異なる角度から伊藤の作品を分析する手掛かりになると考えた。本稿は作品ごとに手法を変えながらも繰り返し現れる伊藤の不思議な人物表現が、どのような効果を作品に付与しているのかを検討するものである。主にジル・ドゥルーズが『感覚の論理学』で画家フランシス・ベーコンの描く人物に対して用いる「フィギュール」の議論を援用する。そして、フィギュールの特徴である、中庸で曖昧な感覚が、伊藤の作品のなかで表現されていることを明らかにする。

収録刊行物

  • 共生学ジャーナル

    共生学ジャーナル 6 254-273, 2022-03

    大阪大学大学院人間科学研究科『共⽣学ジャーナル』編集委員会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390010292645129344
  • DOI
    10.18910/86435
  • ISSN
    24326755
  • HANDLE
    11094/86435
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB

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