描かれた岳飛の獄 : 筆記史料と王言をてがかりとして

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タイトル別名
  • エガカレタ タケヒ ノ ゴク : ヒッキ シリョウ ト オウ ゲン オ テ ガカリ ト シテ
  • エガカレタ ガクヒ ノ ゴク ヒッキ シリョウ ト オウゲン オ テガカリ トシテ

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説明

筆者は前稿において、岳飛の獄がどのように四部分類の史部の史料へと記録され、『宋史』列伝へと繋がるのかを検討した。本論文では筆記史料、王言における岳飛の獄の記述について検討する。筆記史料の記述について、紹興年間の言説が見られ、言説の傾向が時代を経るにつれて変化していく。そして、秦檜の指示により岳飛が死亡したという解釈が生まれていく。王言についても、筆記史料の記述と同様の傾向性があり、岳飛の獄について冤罪であると語られるようになる。更に、『宋史』岳飛伝、秦檜伝における記述の相違を手がかりに、南宋の史料が岳飛の獄に関する南宋の史料の記述がいかにして『宋史』列伝へ繋がっていくのかを検討した。『高宗日暦』を史料源とした『建炎以来繋年要録』に描かれる秦檜像が『宋史』秦檜伝に繋がり、岳飛の孫岳珂が記した『鄂國金佗稡編』に描かれる岳飛像が『宋史』岳飛伝に繋がる。そして、これらを二つの言説のメインルートとすると、そこに筆記史料、王言などの史料に記される岳飛、秦檜に関わる記述が影響を与えていく。このような言説の相違や変化は、南宋から元にかけての史学や道学における人物評価の変遷、思想の違いなどに関連する。

On my previous paper I have worked on how the story of the court case of Yue Fei been written into the historical material "si bu fen lei"(四部分類) "shi bu"(史部) and had a connect with "song shi" the biographies (『宋史』列伝). On this paper, I would like to have a discussion using the materials on miscellaneabiji shiliao(筆記史料) and "wang yan"(王言). And based different description on "song shi" yue fei biography and Qin Hui biography (『宋史』岳飛傳、秦檜傳), I have investigated what happened on the description of The court case of Yue Fei to see the change from the historical material which was written in Southern Song to the material "song shi" the biographies (『宋史』列伝).

収録刊行物

  • 人文研究

    人文研究 73 73-95, 2022-03-31

    大阪市立大学大学院文学研究科

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