中国唐代の宮廷音楽と日本の初期雅楽の管理組織をめぐって

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タイトル別名
  • On the Management Organization of Chinese Tang Dynasty Court Music and Japanese Early Gagaku
  • チュウゴク トウダイ ノ キュウテイ オンガク ト ニホン ノ ショキ ガガク ノ カンリ ソシキ オ メグッテ

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抄録

本稿の研究目的は、唐代の宮廷音楽と日本の初期雅楽の管理組織を詳細に調査し、日本の音楽管理組織が唐代の音楽管理組織から受けた影響、日本の音楽管理組織自体の発展を跡付けることにあった。さらに、唐代と日本の音楽の管理組織と、音楽に従事する人々の伝承と選抜との間に、どのような類似点と相違点があったのかも確認することにあった。これらの目的のために、筆者は唐代の宮廷音楽と日本雅楽の管理組織に関する文献を調査し、岸辺成雄『唐代音楽の歴史的研究 楽制篇』、遠藤徹『雅楽を知る事典』、関也維『唐代音楽史』と志村佳名子『日本古代の王宮構造と政務・儀礼』を中心に情報をまとめた。本稿では、おもに唐代の宮廷音楽と日本の初期雅楽の管理組織をめぐって記述し比較する。さらに、唐代の宮廷音楽の管理組織である太常寺・教坊・梨園についての詳細な説明と、日本の雅楽の管理組織である雅楽寮・大歌所・衛府・楽所・楽家についての詳細な説明をしている。また、唐代と日本のこれらの音楽の管理組織で音楽に従事する人々の間の伝承、選抜、教習についても詳細に記述している。これらの資料から理解できたこととして以下のことが挙げられる。唐代の宮廷音楽の管理組織における各機関のうち、太常寺では楽人の教習が厳しく、複数回の試験があり、楽人を専門に教習する楽師が配置され、楽師にも考課制度があった。教坊の女性楽伎は「内人」「宫人」と「搊弾家」の3種類である。その中の内人は舞踊の能力が高い人と主な役者たちである。宮人は内人の人数が足りない場合に補充する楽伎である。搊弾家は楽器の演奏に従事する人で、庶民出身で眉目秀麗な女子であった。梨園は主に玄宗皇帝自身の音楽を楽しむために設立された音楽管理機関であり、玄宗皇帝が直接教えた。楽人は宮廷の宮女、太常寺の子弟、教坊の楽伎からなっていたことが知られている。これらの管理機関における楽人の選抜は、犯罪者、庶民、戦敗者の将兵の妻の中で行われており、伝承は世襲であった。一方、日本の雅楽の管理組織のうち、雅楽寮は律令制の正統な雅楽の管理機関で、さまざまな種類の楽舞の楽師が配置され、日本固有の伝統歌舞と外来の楽舞を管理し、その中には唐から伝来した宮廷音楽も含まれていた。正統的な演奏と日本固有の伝統的な歌舞を伝承するために、大歌所が設立された。また、時間の経過とともに、雅楽の伝承は次第に楽舞の内容を箏、篳篥、舞などの各部門に分けて専業化して伝承するようになったため、日本に独特な管理形態である楽家が形成された。大歌所や楽家などは令外の管理機関であった。以上から理解できるのは、唐の楽人と日本の楽人は「世襲」を通じて楽舞を伝承したが、異なるのは唐の楽人の「世襲」における伝承は楽人の身分であって具体的な楽舞の内容ではなく、一方日本の楽家の楽人が伝承するのは楽舞の具体的な内容であったことである。また、唐と日本とでは楽人の出自に大きな違いが見られた。

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