関東山地北縁下仁田の下部白亜系砂岩・泥岩

書誌事項

タイトル別名
  • Lower Cretaceous Bedded Sandstone/Mudstone at Shimonita, Northern Kanto Mtn.: Where Did the Atokura Klippe Come from?
  • ―跡倉クリッペはどこから来たか―

抄録

<p> 西南日本から連続する中央構造線(MTL)は,群馬県西部下仁田地域を通過し,北側に領家帯の白亜紀花崗岩類や美濃・丹波帯(=足尾帯)のジュラ紀付加体が,南側に三波川帯の白亜紀高圧型片岩が広く露出する.MTLのすぐ南側には,低角度断層を介して三波川変成岩の上に特異な岩石・地層群がクリッペとして累重する.「跡倉クリッペ」はペルム紀花崗岩やホルンフェルス,非変成の白亜系–古第三系礫岩・砂岩など,どれも少量だが多様な岩石から構成される.1950年代から研究されはじめたが,その起源は長らく謎であった.写真は,下仁田南方の南牧川沿いに露出する逆転した跡倉層の下部白亜系砂岩・泥岩交互層である.近年,同層を含む関東山地の白亜紀砂岩中の砕屑性ジルコンのU–Pb年代が測定され(中畑ほか, 2015, 2016),跡倉層には原生代(25-15億年前)粒子が大量に含まれることが判明した.同じ関東山地でも約10 km南方の秩父帯の同時代砂岩とは大きく異なる後背地をもつこと,また西南日本では飛騨帯と舞鶴帯にのみ知られるペルム紀花崗岩を随伴することから,跡倉クリッペは関東でできた岩石群ではなく,もともと中生代日本の大陸側に起源をもち,二次的に長距離(最大100 km程度)移動してきた岩体と推定される.こんにゃくとネギで有名な下仁田地域の地質には,日本列島のルーツに関する秘密が隠されている.地元を走る上信電鉄の車体に大きくペイントされた「跡倉クリッペ」の文字をみて嬉しくなるのは「撮り鉄」ファンだけではないだろう.</p><p>(写真・解説:磯﨑行雄)</p>

収録刊行物

  • 地学雑誌

    地学雑誌 131 (3), Cover03_01-Cover03_02, 2022-06-25

    公益社団法人 東京地学協会

参考文献 (2)*注記

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