重症心身障害児(者)の母親理解と支援について

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タイトル別名
  • 教育講演 重症心身障害児(者)の母親理解と支援について
  • キョウイク コウエン ジュウショウ シンシン ショウガイジ(モノ)ノ ハハオヤ リカイ ト シエン ニ ツイテ

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抄録

Ⅰ.はじめに 障害児(者)を在宅で養育する母親は、子に対する世話の多さや子の漸次的身体機能の低下による医療依存度が高いこと、未だに残る社会の偏見などから心身の負担感は大きい。それゆえに母親のストレスに関する研究は多くみられる。一方では、ストレスをエネルギーに転換しながら、たくましく生きる母親もまた存在し、彼女たちの障害受容や自己概念を再構成していく姿をとらえた研究も多数ある。 筆者は、これまで、重症児(者)の在宅支援の一環である「療育」において、母親たちの相談員として携わってきた。そこで、出会った母親たちは、子と明るく逞しい共生生活を送っているように見えた。しかし、長期にわたって関わる中で、非常に特異的な養育態度や意識をもつ母親がいることに気づいたのである。すなわち、明るく振る舞いながらも、心から楽しんでいないように見受けられたり、他者に対する信頼感が希薄であると感じた。 筆者は、そういった母親の養育態度に関心をもち、母親たちへの参加観察や聴き取り調査から、母親には、「適応状態」、「ストレス状態」、「不適応状態」という、3つの養育態度があることを明らかにした(日本重症心身障害学会誌第28巻第3号で報告)。 3つの養育態度について説明すると、「適応状態」の母親は、子の障害を受容し、前向きの養育ができる、自己の生活を大切に考え主体的な生き方ができる、社会的な活動をする、養育について内省しながら満足感をもつ、子の同胞にも愛情を注ぎ彼らの人生に理解を示す、養育は他者(親戚・身内など)の協力を期待するよりも福祉サービスを積極的に利用するといった生き方ができる、ことが特徴である。 「ストレス状態」の母親は、家事と養育の一切を担うことによる健康障害や疲弊感がある、わが国の福祉サービスの不整備に対する不安がある、子の漸次的身体機能の衰退や新たな症状の出現、またそれに対する養育方法がわからないという不安がある、さらに姑が家事や養育に非協力的であることや、未だに孫の障害に理解をしめさないことに不満がある、などが特徴である。 「不適応状態」の母親は、子の障害にこだわりをもち続ける、子との一体感固着状態にある、他者に対する不信感から養育への協力を依頼できない、子の同胞に過剰な期待をもつ、子の養育に対して抑圧的な頑張りをする、子の障害に対する罪責感、負い目をもつ、さらに過去の出来事に対する感情の再体験が起こる、などが特徴である。  そこで、本稿では、特に深刻な心理的問題をもつ「不適応状態」の母親に注目し、多くの母親たちが、子の障害に大きなショックを受けながらも、子の障害を受容し、心理・社会的に適応への歩みを進めるなか、なぜ、彼女たちは、「適応」への歩みを進めることができないのか、その要因について考えることによって母親理解の一助となると考えたのである。 Ⅱ.母親の「不適応状態」は、「心的外傷」が関与する 近年、災害や事件など、生活上で起こるさまざまな衝撃体験や苦痛体験を「心的外傷」として捉え、その後遺症(PTSD)が注目されている。PTSDの人は、出来事の再体験、反応の麻痺、易刺激性、過度の警戒心などにより日常生活上にさまざまな困難が生じることは周知のことである。このことから、「不適応状態」の母親の深刻な心理的問題を「心の傷」といった視点から検討することにより、「不適応状態」にある母親への理解を深めることになると考えた。すなわち、彼女たちは、医療者からの絶望的な言葉、他者からの差別的言説や態度、家族からの責任追及、障害改善に対する過剰な期待、姑の子への差別、など強いショックや苦痛を体験しており、それが「心的外傷」となり、「不適応状態」を形成したのではないか、と推察したのである。 しかし、これまでに、障害児(者)の母親の「心的外傷」に着目した研究はほとんど見あたらない。わずかであるが、障害児をもったことに起因する母親の情緒反応を「外傷体験」として捉えている1)がそれ以上の言及はない。しかし「障害」は、「心的外傷」をもたらす一つの体験であるといい、脊髄損傷の自殺者にはその一群がおり、受傷後、数年経った人の中に慢性のうつ病に悩む人がいるという報告がある2)。重症児(者)をもつ「不適応状態」の母親の強いショック、苦痛体験に注目し、それを「心的外傷」と捉えることは、彼女たちへの理解や支援においてきわめて重要な意味をもつと考える。 Ⅲ.「心的外傷」が心理的反応を歪めるメカニズム 西澤3)は、「心的外傷」は、心が自らを守るために体験を瞬間冷凍した状態である、といい、さらに体験を瞬間冷凍させると、その体験の鮮度がいつまでも保たれるために、認知枠組み(人格)に、統合させることができなくなり、心の中に異物として残ることになる、と説明している。 「不適応状態」の母親は、激烈な体験から自己を守るために、その体験を「瞬間冷凍」させるという手段を用いたと考えられる。しかし、体験の冷凍という対処は、正常な対処方法ではないために、その後の生活や養育に支障を来すことになる。 冷凍させた体験は、いつまでも新鮮な状態で保たれているために、体験に関連した刺激を受けると、体験の解凍が起こり、本人の意思とは関係なく、今、まさに体験していることとして、生々しく感情がよみがえるという現象を起こす3)ことになる。彼女たちは、過去や現在の生活を語るとき、しばしば涙を流しながら混乱することがある。これが、彼女たちのもつ侵入症状である。しかも彼女たちは、その症状を改善する努力ができないために、体験の侵入を避けるようになる。これが、受忍し、何事も語らない、という回避症状として表れることになる。 また、冷凍した体験は、いつまでも生々しく存在するために、心の中の異物となる3)。心の中に異物を存在させると、彼女たちが体験以前、すなわち障害児(者)をもつまでにもっていた、母親固有の認知、知覚、感情、思考、評価の流れが妨げられ、歪みを生じさせることになる。すなわち、自分らしさを歪めた反応を示すことになる。 ここで、「心的外傷」が「心理的反応」を歪めるメカニズムを西澤3)の図(改変)を用いて説明する。図1は「一般の感情の流れ」、図2は「トラウマの存在による感情の歪み」である。 「心的外傷」がない場合は、図1に示すように母親は出来事(刺激)に遭遇しても、その人がもつ知覚、認知、思考、感情、評価などのプロセスは歪むことなく、ありのままの、その人らしい心理的反応として表現される。たとえば、他者から差別的言説や障害の責任追及を受けても、そのときに知覚する、ありのままの感情を表出できる。それは、怒りとなって表れることもある。またそれを何回も想起させ、徐々に感情を和らげていく。ときとして、その不当性に抗議し、説明することができる。また、過剰な負担感に対しては、福祉サービスの利用や他者に協力を依頼することができる。 しかし、母親に「心的外傷」がある場合は、図2に示すように、同じ出来事を経験しても、冷凍された体験が、心の中に異物として存在するために、知覚、認知、思考、感情、評価の流れを妨げることになり、歪んだ心理的反応となる。それは、感情の変化や対人関係の変化、すなわち、罪責感、負い目、不信感となり、さらには、感情の封じ込めといった反応を示す。 彼女たちの体験を、「心的外傷」の定義に照合してみると、その様相から、明らかに「心的外傷」の定義の範疇に該当するのである。「心的外傷」は、個人の対処能力を超えるような大きな打撃を受けたときにできる傷4)である。 DMS-5精神疾患の分類と診断の手引き(2014)では、外傷後ストレス障害(PTSD)として、侵入症状、回避症状、覚醒症状、認知と気分の陰性の変化などがある。 さらに、彼女たちの体験は、養育過程からもわかるように、災害のように、一回限りのものではなく、養育過程で何度も繰り返されている。しかも、彼女たちは、その体験の積み重ねによって、意識や態度を重症化させている。このような体験について、Herman5)は、一回限りのものと繰り返される衝撃体験を区別し、繰り返されるものに、「複雑性外傷後ストレス障害」という新しい概念を示し、診断基準を提示している。その症状として、感情制御変化、意識の変化、自己感覚変化、加害者への意識変化、他者との関係の変化、意識体系の変化があることをあげている。さらに、長期反復性外傷の生存者の症状像は、はるかに複雑であり、特徴的な人格変化を示し、そこには自己同一性および対人関係の歪みも含まれる、と指摘し、一回限りの「外傷体験」と区別し、「複雑性外傷後ストレス障害」という新しい概念を提示している。トラウマ体験には、PTSD症状以外にも、「感情の変化」や「対人関係の変化」などがある6)。 心理的反応の歪みは、心の安定の基盤をなす「安全感」、「安心感」、「信頼感」が破壊され、自我が著しく脅かされ、精神的なコントロール感を喪失させた状態に陥っていることを意味するものである。彼女たちが、子の養育過程で何度も「外傷体験」を繰り返していることや、そこから生じた「感情の変化」や「対人関係の変化」から、母親たちの「不適応状態」は、明らかに「複雑性外傷後ストレス障害」に起因するものであると理解できる。 (以降はPDFを参照ください)

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