柿産地としての奈良県五條市の形成

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タイトル別名
  • The development of Gojo, Nara prefecture, which is a persimmon-producing district
  • to the advertising slogan “the largest producer of persimmon in Japan”
  • 「日本一の柿のまち」ができるまで

抄録

<p>I. はじめに </p><p> 本研究の目的は、奈良県五條市における柿生産の展開を整理するとともに、市町村合併が特産物の柿にもたらした影響を検討することである。対象地域である奈良県五條市は、2005年に旧五條市・旧西吉野村・旧大塔村の三市村が合併して誕生した。市町村別の柿生産量は日本一であり、「日本一の柿のまち」として産業振興が図られている。五條市の産地的特徴は、第一に、様々な品種が栽培されているため約半年間にわたり柿が収穫できる点、第二に、全国的に後継者不足といわれる農業分野で次世代生産者の育成・技術継承が盛んに進められている点である。また、五條市を含む奈良県は柿の出荷先として東日本に重点を置いており、出荷先の約70%を占める。</p><p></p><p>II. 柿産地としての歴史</p><p>①柿栽培導入期</p><p> 1921年の大寒波以降、旧五條市と旧西吉野村にてみかん栽培から柿栽培へ移行される。また、旧西吉野村では大阪への出荷や中国への輸出、共同出荷販売が始まる。</p><p></p><p>②技術開発期</p><p> 戦後、旧西吉野村で共同脱渋施設、冷蔵貯蔵設備が導入され、農協での共販が進む。1955~1957年の明治神宮全国農産物品評会で丸森松二郎氏の「富有」が農林大臣上記賞を受賞したことで、「西吉野の柿」は全国的な知名度が上がり、関東への出荷も本格化する。しかし、労働力の減少、化学肥料の使用による土壌の悪化、市場競争力の低下などから、農地開発事業の導入が検討される。</p><p></p><p>③国営農地開発事業期</p><p> 1974年に旧五條市と旧西吉野村で国営農地開発事業が開始される。また、ハウス柿「刀根早生」が導入され、以後両地域は甘柿・渋柿両方の産地となる。西吉野ハウス柿部会や西吉野柿部会が設立されて共選共販体制が確立するほか、奈良県果樹センターや柿博物館といった施設も完成する。1998年には旧五條市で、翌年には旧西吉野村で統合選果場の運営が始まる。国営農地開発事業は2002年に終了した。</p><p></p><p>④事業終了以降</p><p> 2002年からJAならけん西吉野柿部会青年部により「柿の里まつり」が始まる。2005年には市町村合併が施行され、現在の五條市が誕生する。2021年には西吉野農業高校が開校する。次節では市町村合併に伴い、柿の生産・流通やブランド化にはどのような影響があったのかについて詳しく検討する。 </p><p></p><p>Ⅲ. 市町村合併の影響 </p><p> 五條市の中で主に柿が栽培されているのは、旧五條市と旧西吉野村にあたる地域である。生産・流通面に関して、JAならけんには五條柿部会と西吉野柿部会が存在し、合併後の現在でも流通経路は区分されている。旧西吉野村では農協を通じた出荷が約70%を占める一方で、旧五條市域では消費者への直接販売の割合が高く、地域ごとの流通的特徴もみられる。また、ブランド名に関して、合併後の統計文書や行政文書では「五條の柿」という名称に統一された一方で、旧西吉野村では「五条の柿」ではなく合併以前から用いられてきた「西吉野の柿」表記が今でも見られる。</p><p></p><p>参考文献</p><p>五條市史調査委員会編 1958. 『五條市史 上巻』五條市史刊行会. 西吉野村史編集委員会編 1963. 『西吉野村史』西吉野村教育委員会.</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390014194595920384
  • DOI
    10.14866/ajg.2023s.0_272
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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