中央高地の半自然草地はどのように残ってきたのか

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タイトル別名
  • Remain processes of semi-natural grasslands in the Central highlands

抄録

<p>縄文時代以降の気候の下では日本列島の多くが森林へと遷移する。そうしたなか氷期に大陸から渡ってきたと考えられている植物や昆虫が今もなお生息する草地が東北地方,中央高地,阿蘇等に残存している。こうした草地は人の火入れ,放牧,採草などにより維持されてきたと考えられることから半自然草地といわれている。実際,半自然草地の土壌は縄文期の層から表土まで草原的環境であったことを示す黒ボク土が連続して堆積していることが多い。しかし,個々の草地を維持してきた人間活動の実態については必ずしも解明されていない。本研究では,長野県の開田高原と霧ヶ峰高原に残る半自然草地がどのような過程を経て現在に至るのかを比較検討することで,中央高地の半自然草地の歴史の一端を把握する。</p><p>開田高原では旧石器時代から古代まで狩猟採集の場として利用されていた。中世以降人の居住が始まり,馬の放牧と焼畑等が営まれ,近世以降に常畑の開発がすすみ,厩肥生産・現金収入のために馬飼育・生産が盛んになった。一方,霧ヶ峰高原は旧石器時代から中世まで狩猟採集に利用されていた。山麓における人の居住は縄文時代から始まっており,古墳時代以降,馬の放牧と焼畑等が営まれていたが,近世以降に常畑や水田の開発がすすみ,厩肥生産・中馬稼ぎ等を目的に馬飼育も続けられた。多くの新田集落ができ,草肥への需要が高まった。そうしたなか近世以降,秣の採取地は霧ヶ峰高原に広がった。</p><p>開田高原では古代,霧ヶ峰高原では中世頃まで,シカ等の草食獣,山菜や木の実を採取するために定期的に野火が入れられた可能性がある。開田高原は中世以降,霧ヶ峰は近世以降に秣のために,近年は両者とも観光地の景観維持を目的に火入れがなされてきた。中央高地に残る半自然草地は,火山山麓の高冷地で,長く狩猟採集に利用され,その後は農業生産に厩肥が不可欠であった人々の恒常的な火入れによって維持されてきたと考えられる。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390014194596003328
  • DOI
    10.14866/ajg.2023s.0_76
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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